遠目からですが、当時の凄さを感じます。
秀忠が京都の伏見城から移築されたとされる櫓。
堀との高低差がすごい!
皇居ツアーの見どころ。
結構な高さの上にある。
皇居に残る江戸時代の江戸城の櫓の中でも、最も美しいと言いわれる櫓で皇居参観のハイライトというべきスポット。
名の由来は17世紀に、京都にあった伏見城の櫓を解体移築したとの言い伝つたえから。
正門の石橋と鉄橋が重なり、その奥にこの伏見櫓が見える皇居外苑からの眺めは、皇居、皇室を象徴する景色いっても過言ではないと思う。
往時の江戸城を偲ばせる遺構の一つ。
皇居の参観の時に撮影しました。
伏見櫓は、二種橋付近にある櫓の事です。
遠いけど、良かったです。
二重橋から見える二層の櫓。
多聞櫓が付属し、見た目も白亜で美しいですね。
一度は内部の見学もしてみたいですなぁ😃
伏見櫓の高さは13.4mで、十四間多聞、十六間多聞が脇を固めています。
別名で「月見櫓」と呼ばれ、皇居で最も美しい櫓といわれていますが、最上階の窓を大きくするなど、「月見櫓」らしさはありません。
江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓で、両横には大規模な多聞も続いています。
1628年、3代将軍家光の時代の江戸城修築に際して、京・伏見城から移築したものと伝承があります。
石垣も櫓も堅牢で、関東大震災でも崩れずに往時の姿をとどめています。
皇居のなかに位置するため、見学などはできません。
皇居一般参観を申し込めば、比較的に間近で見学することができます。
見ごたえのある櫓です。
一見の価値ありだと思います。
乾通り一般解放の時に拝見しました。
立派な建物です。
【富士見櫓(ふじみやぐら)】櫓の高さは約15.5m、石垣の高さは約14.5m。
どこから見ても同じ形にみえるため【八方正面(はっぽうしょうめん)の櫓】と呼ばれています。
1657年の明暦の大火(明暦3年)で消失し、現存の櫓は【1659年(万治3年)に再建】されたもの。
同じく明暦の大火で消失した寛永度天守(かんえいどてんしゅ。
メインの天守閣)が再建されなかったため、この【富士見櫓が天守閣の代用】とされていたそうです。
天守閣の再建が見送られたのは、天守閣という建物が実用的ではなくなっている(「天守は近世の事にて、実は軍用に益なく」)との指摘があり、城下町の復興が優先されたためと言われています。
但し、天守台だけは再建されており、同じく皇居東御苑の中にあるので見学が可能です。
富士見櫓の構造は、三重の屋根を持つ【三重櫓】。
石垣の積み方は、大きさや形がまちまちの自然石を加工せずにそのまま積み上げる【野面積み(のづらづみ)】。
この方式は、隙間や出っ張りがあるため敵に登られやすいという欠点がある一方、水はけが良く頑丈という長所があるそうです。
富士見櫓は「お城っぽい外見」をしているので、江戸城の名残をもっとも強く感じさせてくれる建物だと思います。
2018.12.7 金。
季節に応じていろいろな風情を感じさせてくれます。
伏見櫓と書いてあるのに富士見櫓と間違っている人がいますけど、日本語が読めないんでしょうか?富士見櫓は松の大廊下跡がある方向にあるんです。
そちらは江戸城本丸に近いこともあって、将軍が富士を見たり、両国の花火を見たりしていたそうです。
Google Maps 上のこの場所にあるのは、「富士見櫓」ではなく「伏見櫓」です。
富士見櫓は、別に東御苑内の正確な位置に表示されています。
三代将軍家光公の時代に、京都伏見城から解体移設されました。
二重橋下からも見ることができますが、皇居参観(無料。
午前午後各500人限定)のルート上からはもっと近くで見ることができます。
タイトル表示が一時「富士見櫓」になっていたためか、写真やコメントに富士見櫓のものが多く見受けられます。
お気をつけください。
江戸城の遺構の中で特に存在感を発揮しているのがこの冨士見櫓です。
天守閣が現存していない今、江戸城らしさを最も感じられる建物になります。
皇居参観で橋の上からの綺麗に見ることが出来ます。
名前 |
伏見櫓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3213-1111 |
住所 |
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関連サイト |
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/koukyo/place09.html |
評価 |
4.4 |
遠目からですが、当時の凄さを感じます。
近くで見ることが出来れば。