戦国武将北条氏邦の他、藤田康邦の廟所もあります‼️
藤田氏の菩提寺。
藤田氏は北条氏邦の養父にあたり両氏の墓所が本堂裏手に残されています。
山門が印象的なお寺です。
裏手の墓地の丘に北条氏夫妻などの宝篋印塔(県史跡)があります。
曹洞宗の寺院です。
高根山藤源院といいます。
開基は、藤田氏の始祖である花園城主の藤田五郎政行です。
創立時の寺号は良く分かりませんが、高嶺山に筥根(はこね)権現を祀り、一寺を創立すると伝わっています。
藤田能国(よしくに)の時代、1187年城下に青龍が出現し、龍泉の湖をつくり住んだと言われており、1348年に臨済宗の僧實翁和尚が、その故事にちなんで青龍寺としました。
青龍寺は後に昌龍寺に改名され、1591年徳川家康の時代に現在の寺号・正龍寺になりました。
境内には15代城主藤田康邦夫妻や鉢形城主北条氏邦夫妻の墓があり、また、県の天然記念物に指定されている玉垂の楓といわれる名木もあります。
山門、仁王門、本堂の雰囲気が素敵なお寺さんです。
鉢形城主だった藤田康邦夫妻と藤田(北条)氏邦夫妻の墓所が墓地の最高所にあり、ここからの眺めも一見の価値ありです。
寄居駅から歩いて10分程、立派な山門があります。
北条氏邦夫妻の墓のあるお寺。
のちに鉢形城の支城となった花園城関連のお寺だった模様。
門構えや鐘などとても伝統を感じるものでした。
近くへ行った際にはぜひ立ち寄ってみてください🙋
北条氏邦の菩提寺で、戦国武将北条氏邦の他、藤田康邦の廟所もあります‼️
寄居町藤田地区にある、高根山 藤源院 曹洞宗 正龍寺(しょうりゅうじ)。
資料によると、中世に栄えた豪族の藤田氏の菩提寺として創立された。
寺院内墓地には北条氏邦夫妻と、氏邦の養父である藤田康邦夫妻の墓が四基並ぶように安置され、埼玉県指定史跡になっている。
氏邦が北関東支配の拠点としていた鉢形城は豊臣秀吉による小田原征伐の標的となり、前田利家・上杉景勝らの北国軍(3万以上)との一ヶ月に及ぶ籠城戦を繰り広げたのち、正龍寺において開城の合意が交わされた。
寺号は青龍寺、昌龍寺を経て、徳川家康入幕後の1591年に正龍寺に改号された。
とあります。
北条氏・藤田氏のお墓は、山の斜面に並ぶ正龍寺の墓地の中でも上の方にあり、寺の境内から見ても分かるような廟になっていますが、どう上って行ったらいいかの案内は無く、カンを働かせて上って行ってください。
尚、大福御前自刀の地という記念碑が、正龍寺を出て東南の方向に120m位行った所の畑の中にありました。
本堂が立派なのとまわりの山の景色に溶け込み素晴らしいです❗️
山門が良い帰りの 抜けた感じも好き。
敷地内の墓地は土石流に注意する必要があるので、大雨の日は行かない方が良い。
ここは凄い👍是非行ってみて💯
歴史のある寺院、地元では有名のようです。
母方祖父母の墓があります。
鉢形城城主・北条氏邦と正室の大福御前、大福御前の実家で氏邦が一時婿入りしていた藤田氏夫妻の墓があります。
鉢形城は天正18年(1590年)に、豊臣秀吉の関東平定で攻め込まれましたが3ヶ月間籠城の末、多勢に無勢の北条軍の農民たちのために開城を決意し、農民たちの助命と引き換えに切腹しようとしたところ、豊臣軍の前田利家預かりとなり金沢へ移りました。
大福御前は正龍寺に残り、千日法要結願日に当寺で自刃しました。
氏邦は金沢で亡くなり、遺骨が当寺に運ばれて葬られました。
歴史の舞台になった寺です。
鉢形城(戦国マニアなら必ずその重要性を知っている)の主人と、その養父のお墓があります。
戦国時代まではここが実質的な北関東の中心部だったと言われています。
初めて正龍寺を訪ねて参りました、目的は、北条氏邦のお墓にお参りして来ました、高台にお墓がある為皆野有料道路と鉢形城と車山が見えてとっても展望が良いと思います。
2018年3月5日、寄居十二支本尊巡り、辰巳の本尊、普賢菩薩を祀るお寺です。
大きな山門があり、寄居の町の景色がよく見える場所にあります。
鉢形城主北条氏邦公の菩提寺で、藤田康邦夫妻、北条氏邦夫妻のお墓があります。
十二支守り本尊。
名前 |
正龍寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-581-5529 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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藤田氏の菩提寺で城主の墓が残されている。