サトウハチロー旧宅から移したものだという。
童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木 / / .
同様の名作を数多く残したサトウハチローは、昭和12年秋、上野・桜木町から向ケ岡弥生町に転居しました。
家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えたそうです。
昭和30年に動揺「ちいさい秋みつけた」は、深紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞されました。
ハチローの没後、家は記念館になり愛用品や遺稿が展示されましたが、平成7年に閉鎖され、庭のはぜの木は、ここ礫川公園に移植されました。
樹齢約70年、毎年真紅の枝葉がちいさい秋を語り伝えてくれます。
童謡の名作を数多く残したサトウハチロー(1903- 1973)は、昭和12年(1937)秋に、上野・桜木町から向ヶ岡弥生町に転居した。
家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えた。
童謡「ちいさい秋みつけた」は、真紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞された。
昭和30年(1955)秋のことである。
ハチローの没後、旧宅は記念館に改装され、遺稿や愛用品が展示されたが、平成7年(1995)館は閉鎖され、平成8年(1996)記念館は北上市に新設された。
その後、残された “ はぜの木 ” は木の延命を図るため5本の枝を残し、切り株状にして平成13年(2001)10月、この地に移植された。
樹齢約70年、毎年真紅の枝葉が “ ちいさい秋 ” を語り伝えてくれる。
**************************************************ちいさい秋みつけた(三番)サトウハチロー 作詞中田喜直 作曲誰かさんが 誰かさんが誰かさんが みつけたちいさい秋 ちいさい秋ちいさい秋 みつけたむかしの むかしの 風見の鳥のぼやけたとさかに はぜの葉ひとつはぜの葉あかくて 入日色ちいさい秋 ちいさい秋ちいさい秋 みつけた– 郷土愛を育む文化財 –文京区教育委員会平成15年3月************************************************と書かれていました。
名前 |
童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
サトウハチロー旧宅から移したものだという。