名前 |
大御食神社 本殿 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
4.5 |
「大御食神社」は、118(景行天皇48)年/異説に128(景行天皇58)年の「日本武尊(やまとたけるのみこと/『古事記』では『倭建命』)」を祀った「大御食ノ社(おおみけのやしろ)」創建に始まり、277(応神天皇8)年/異説に307(応神天皇38)年には、その妃「宮簀姫(みやずひめ/『古事記』では『美夜受比売』)」/「五郎姫(いついらつひめ)」を迎えて祀ったとされる。
さらに、879(元慶3)年に武運の神「誉田別命(ほむたわけのみこと/『八幡大神』とも)」を迎えて合祀しているというが、その本殿は1733(享保18)年癸丑6月の造営、1748(寛延元)年戊辰10月に改築遷営されて、現在の本殿は1864(元治元)年甲子10月の改築遷営だという。
2011(平成23)年12月27日「駒ヶ根市有形文化財」に指定されているが、間口が4.2メートルの「三間社(さんげんしゃ/神社本殿で母屋正面に4本の柱を用いて柱間が三つある形式のもの)流造(ながれづくり/屋根の前が長く伸びて向拝を覆い庇と母屋を同じ流れで葺く建築形式)」で、元「杮葺(こけらぶき/屋根を木の薄板で葺く工法)」現在は「銅版葺」の「軒唐破風(のきからはふ/軒の一部について中央部は弓形で両端が反り返った曲線状の屋根の造形)」だ。
見るべきものとして正面や繋ぎの立川流による彫刻があるが、棟札(むなふだ/建物造営の由緒などを記して棟木に打ち付ける木札)の1枚は1863(文久3)年9月の「釿始め」が、もう1枚には1864(元治元)年4月の「地鎮祭」が記録されているといい、その「大工キソ斉藤常吉 彫工下スワ立木音四郎」の記述から、「立川和四郎冨棟(たてかわわしろうとみむね/『諏訪大社下社秋宮』の社の建築により、競合する『大隅流』を圧倒する評判を得た『立川流』の棟梁)」の子どもで「立川和四郎冨昌(たてかわわしろうとみまさ/卓越した彫刻技術は単なる装飾彫刻から芸術性高い彫刻へ押し上げたといわれる)」高弟の「斎藤常吉英知(さいとうつねきちひでとも)」が大工棟梁、同じく弟子の「立木音四郎種清(たつぎおとしろうたねきよ)」が彫工の社殿建築であることが確かめられるという。