周囲を堀に囲まれている。
鑁阿寺の静寂な雰囲気の中で、落ち着けます。
良く整備されたお堀と土塁に、往時の名城に想いを馳せることが出来ます。
ちょいちょい来てしまう場所2022/11/13なにやらライトアップされている。
ついでに片栗粉シュウマイも食べてみる。
懐かしさだけの味だな。
足利氏の陣屋形式(館形式)の城跡です。
12世紀はじめから半ばの間に居館を創ったのが始まり(築城)とか。
築城主は足利氏の祖である足利義康公。
因みに足利氏の本姓は源氏です。
源から領地の足利という地名を取って足利氏という名前としました。
同族(異母兄弟の兄)として新田氏が出ています。
新田氏からは里見氏が出ています現在はこの足利氏館の有った場所は「鑁阿寺(ばんなじ)」となっています。
しかしながら寺の回りは水の入ったお堀と土塁という、城としての遺構が残っています。
(今はお堀と土塁は寺の前面のみかな…確か)後の時代の日本のすべての城造りの定番、城回りをぐるりとお堀と土塁で囲むスタイルの元になったのが、この足利氏館と言われているそうです。
あとは樹齢550年の大イチョウの樹も良い。
私が訪れた時は、たまたま足利氏15代全ての将軍の座像が公開されていました。
座像は全て同じ時期の江戸時代に創られたとの事でした。
将軍家の割にはやや小ぢんまりした感じの遺構でしたが、地味に良かったです。
最後の食べ物の写真はご当地グルメ足利シュウマイです。
一串160円。
敷地は広いです。
建物も素敵。
少し歩きますが近くに無料の観光駐車場があります。
足利市内数箇所でライトアップのイベントがあり訪れました。
昼間の紅葉も良かったが、ライトアップで浮き上がった紅葉と境内に並べられた灯篭が幻想的で見事でした。
御城印を購入しました。
対応した年配の方の物言いは丁寧語でしたが、何か不遜な感じでした。
まあ、接客業ではないねで仕方がないのか、と気持ちで納得させました。
足利氏館(鑁阿寺)へ到着~(^^)。
足利尊氏の室町幕府を開いた後、足利発祥地と尊崇された場所😃。
入城前に足利尊氏像と鯉達に挨拶して、反橋と楼門をパシャリ🤳(^^)。
その後、素敵な境内を進み、多宝塔、大銀杏、国宝の本堂を拝見~(^^)。
源氏の元を体験してきました。
日本100名城の15番足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構えたのが始まり。
その後、居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立、伽藍を整備し足利氏の氏寺となり今に至る。
堀に囲まれ土塁や門があり鎌倉時代を今の世に偲ばせる歴史的遺構。
方形の縄張りで堀、土塁はあるものの、拠点防衛にはやはり向いていないように思います。
勧農城、足利城に移転したのも列強がひしめく地では当然だったかも。
堀、土塁の他、門などの建造物もあり、写真を撮りながら一周しました。
日本100名城(15番)に選定されたお城です。
城郭としての遺構は土塁と水堀くらいですが、国宝に指定されている鑁阿寺本堂など大変重要な史跡となっています。
駐車場は境内にもあるようですが、近隣にあるたかうじ君パーキング(無料)に停めて、途中のお店を散策しながら行かれるとよいと思います。
スタンプは本堂の階段を上がり左手に設置されていました。
近隣にパーキングが無く諦めそうな時に、境内に停めれると分かり入場出来ました。
ホテルチェックアウトしてからなので10時頃行きましたが、土曜でも人は少なくのんびりと散歩出来ました。
お堀に大きな魚が見れました。
七五三の時期で、華やかでした。
近くの幼稚園の運動会境内で、やってて、ほっこりでした。
庭園を見ながら、縁側に佇むと、完全に無になれる。
立派なお寺でしたが、100名城と言った感じではありませんでした。
室町幕府を開いた足利氏の館跡、今は住宅地に静かに佇む菩提寺です。
歴史のある建造物で周囲にも散策出来るスポットがあるので、歩いていて楽しいです。
周囲の畔にも鯉や亀や魚がいて子供も楽しめます。
平安時代末期、源姓足利氏の武家屋敷だった。
現在は金剛山仁王院鑁阿寺。
堀と土豪に囲まれ、四方に門を配した造りは武家屋敷のもの。
1196年、前年に出家した二代当主義兼が小さな持仏堂を建て、その死後、三代義氏が寺として整えた。
現在の本堂は室町幕府を開いた足利尊氏の父、貞氏が建てたもので、当時は最新式の禅宗様を取り入れ、鎌倉時代の建築様式をよく残しているとして、平成25年、国宝に指定されている。
足利氏の御霊屋が本堂の北西にあり、本堂西隣の経堂には足利15将軍の木像が、多宝塔には歴代足利氏の位牌が安置されている。
因みに、日本名城百選のスタンプは本堂の御守授け所の前に置かれている。
100名城の一つだが今は立派なお寺です。
一応決して大きくはないお堀と土塁に囲まれています。
日本100名城スタンプラリーで知りました。
知らないって、もったいないなーっと、反省です。
とっても素敵な町でした。
100名城と謳われていたので訪問したが、元々の規模や機能などを考慮したものではなく、ただ単に足利氏の館というだけの基準であるように思われた。
国宝鑁阿寺はべつに城と関係あるものでもなく、鑁阿寺としても物見遊山の訪問お断りの表示をしている。
スタンプラリーだけに興味のある人は来ちゃいけないようですよ。
城趾らしいのは、隣の太田市の金山城跡です。
遺構の遺され方、復元の仕方、規模、それぞれの遺構の解説のわかり易さなど、私の中では「キングオブヤマシロ」に位置づけられます。
此処にがっかりした方はぜひ行ってみてください。
100名城の一つです。
平城の館ですので、一般的なお城のイメージには合わないかも。
その跡にお寺が開かれており、本堂は国宝となってますので、一見の価値はあると思います。
中世の武士の館跡。
周囲を掘り、土塁で囲まれています。
堀にはカモや鯉がいました。
紅葉の時期は大変綺麗に色づくそうです。
寺号は詳しくは「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(こんごうさん におういん ほっけぼう ばんなじ)」と称する。
足利氏の氏寺。
本尊は大日如来。
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
歴史・沿革12世紀の半ばに足利氏の祖・源義康が同地に居館(足利氏館)を構える。
1196年(建久7年) 足利義兼(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。
1234年(文暦元年) 足利義氏が伽藍を整備、足利氏の氏寺となる。
南北朝時代 鶴岡八幡宮の支配下となる。
1922年(大正11年)3月8日 「足利氏宅跡」として国の史跡に指定される。
1908年(明治41年) 鑁阿寺本堂が古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の重要文化財に相当)に指定される。
1950年(昭和25年) 文化財保護法の制定により、本堂は重要文化財となる。
1951年(昭和26年) 真言宗豊山派から大日派として独立2006年(平成18年)4月6日 「足利氏館」として日本100名城(15番)に選定される。
2013年(平成25年) 本堂が国宝に指定された。
鑁阿寺は、元は足利氏の館(平城)跡に開かれた寺院で、周囲を堀や土塁が巡っているのも、そのためと知り、古き昔に思いが駆け巡ります。
●平安末期に足利氏の邸宅があったらしいが、邸宅があったことを想像させる痕跡はない。
●敷地を取り囲む堀と土塁が、城っぽいといえばそうかも。
周囲を堀に囲まれている。
足利邸宅時代からか。
昔を想像できる良い雰囲気です。
【平成29年1月訪問】足利学校とセット観光ポイント本堂も素敵ですが、参道もいい感じです。
日本100名城。
樹齢550年と言われる縁結びの大銀杏は存在感が大きい。
スタンプは本堂の御守り売り場にちょこんとあります。
ちょっとした古い町並みと日本最古と言われる「學校」から歴史を感じれる。
冒険度★★疲れ度★城強度★★城規模★
名前 |
足利氏館 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0284-41-2627 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
2023年に車で訪問🚗施設内の専用駐車場が無いため、周辺を暫くウロウロしていたところ、駐車場があったので、そちらに駐車しました。
近くには市役所もありましたので、そちらに停めるのが一番良いのかもしれません。
訪問時は平日の午前でしたが、年輩の夫婦、保育園児たちなどがチラホラ居ました。
名城スタンプは本堂で押すことができます。
敷地内は全般無料で開放されています。
敷地内を一通り観て廻って、30〜40分位かと思います。
人慣れしたネコがいました🐈