名前 |
東照薬師 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
遠江四十九薬師霊場 第四十三番札所で、御朱印は800mほど離れた「龍冨山 松秀寺」にて戴けます。
明治時代の廃仏毀釈により廃寺とされた東照山 平福寺跡地に建つこの東照堂には、徳川家康公を祀る東照宮の「東照」の語源になった(かも知れない)東照薬師如来が秘仏として安置され、12年に一度ご開帳されています。
かつて平福寺には、家康公により「東照」と揮毫された扁額があったとの未確認情報もあります。
家康は鷹狩りのついでに平福寺の東照薬師如来を参拝していたようです。
俗説かも知れませんが、家康は眼病平癒を祈願して叶えられたとか、生母於大の方が鳳来寺の薬師如来に祈願して誕生した自分を薬師如来の生まれ変わりと思っていたとか、単に「東照」の名称が気に入っていたとか・・・諸説ありますが、そのような理由により彼は「東照大権現」として東照宮に祀られているのかも知れません。
日光や久能山をはじめ、全国に数ある東照宮の「東照」が本当にこの東照薬師如来に由来しているとしたら、長年「東照宮」という名称の由来が知りたかった私は嬉しく思います。
「厭離穢土欣求浄土」の旗印のとおり、家康は戦国という“穢土”を“厭離”し“浄土”を“欣求”するため、東照薬師如来の加護に頼ったのかも知れませんが、その願いは戦国の乱世を平定して、260年以上に渡る太平の「江戸時代」を実現するという形で叶えられたと思います。
家康が東照薬師如来に祈願した際に奉じた願書(写真参照)には「・・・その威を我に譲り賜われ」と記されており、太平の世を実現したいとの家康公の願いが伝わってくる思いがします。
ちなみに素人の解釈で恐縮ですが、写真の願書は「眼病平癒等、三つの祈願が成就したら、堂を建立致します」と読めます。
この願書のコピーは松秀寺にて公開されています。