ボランティアの案内の方が親切でした。
遺構はほとんどないが、櫓が木造復元されてるのはいいね!
2023/3/3(金)今日は快晴です‼️青い空に桜🌸が映えます‼️春です♪♪♪😁
派手さはありませんが、ゆっくり散歩できるのでおすすめです。
宇都宮観光として訪問。
特に見どころがあるわけでもないが、無料で城の中に入れる点が良い。
城としては、再建されている部分はあるが、ほぼ見るべき所は無い。
関東にありがちな天守閣の無いお城跡。
高い所が好きな人は階段登って櫓から町を見下ろすとと良い。
河津桜が咲き誇っています。
天気の良い日は気持ちいいてす。
お散歩にはちょうど良い😊
御城印🏯買いました(300円)広くて綺麗でした。
ぐるっと一周してもさほど時間はかからない。
復元された本丸跡を囲む土塁の一部は見事である。
無料の展示コーナーや博物館もあって楽しめた。
4月は、桜🌸が満開です。
人混みが無いので安心して満喫できる。
この時期は芝生の上で遊ぶ事ができますし、一年中楽しめる、広場が有ります。
イベント等で良く使われます。
春は河津桜や色々な種類の桜が咲いて長く楽しめます。
イベントの無い時は静かで散歩等も良いです。
秋には餃子祭りをやります。
その時は凄い人です。
本丸の土塁が半分と、堀が少ししか残っていません。
しかも土塁にはトンネルが掘ってあります。
せめて本丸の土塁がぐるりと一週残っていたらかなり雰囲気が違うと思うのですが…
かつての宇都宮城のうち、本丸内の一部の堀・土塁・櫓などが復元されている。
城全体のごく一部のみのため、往時の全貌を偲ぶには余りにも寂しい。
徳川家康の懐刀と言われた本多正純が治めた城だそうです。
今では市民の憩いの場として使われてる公園みたいですね。
なんでも餃子祭りなどイベントもよく行われてるようです。
桜の季節はキレイらしいですね。
明治以降完全に破壊された城跡。
しかし平成になり、発掘調査の成果に基づいて復元された本丸土塁と水堀のうち約1/4ほどが公園として整備されている。
土塁内部は土積みではなく空洞になっており、外観復元と言える。
これは、内部が都市公園整備に際しての防災倉庫としての役割を兼ねているからで、復元整備の一つの在り方かもしれないので、マイナス判断とする要素にはしない。
土塁は高く、10m近くはあるだろうか。
上面の馬踏みには土塀、また2基の櫓が木造復元されている。
なお、正門である清水門は北向である。
これはこの城の前身が二荒山神社との関係が深いことからその位置にあるとのこと。
近世以降もそのまま受け継がれているとのことだ。
門は復元されず、平面表示されている。
ただ、駐車場がとても少ない。
休日は市役所のものも使えるようだが、イベントがあるとそこもすぐに満車になってしまうので注意が必要だ。
宇都宮城跡です。
再建城です、掘り、土塁、櫓、等があります。
市民の憩いの場所になっております。
復元された土塁上の塀と二つの櫓があります。
伊賀門跡、二の丸土橋跡がありますが江戸時代の姿は土塁下の「ものしり館」の図面や模型で偲ぶしか無いようです。
ここでは宇都宮釣天井の話を書いたパネルもあります。
立派な城だと思って観に行くと、残念に思うかもしれません。
釣天井事件があったらしい宇都宮城址公園。
色んなイベントやってますね。
ボランティアの方の説明を受けると、歴史の深さを感じます。
広場で、プロサッカーチームが遠征中に練習していました。
唯一のスケートリンクと思い出の保育園を潰して、散々金かけてこれかよ。
ショボイ。
大金と維持費の無駄遣い。
ボランティアの案内の方が親切でした。
ありがとうございました。
最初に見たときの印象は、思っていたよりも小さかったです。
見応えはあるようなないような。
開けたところなので、スポーツするにはいいかもしれません。
ベンチも設置されているので、のんびりできます。
昔はスケート場でよく遊んだものだ。
吊り天井の昔話は今も昔も同じ様だね。
週末はよくイベントをやってます。
櫓から結構見渡せます。
お城本体はないのですが、なかなか見事な城跡ではありました。
ボランティアの方が、いろいろと説明してくれて勉強になりました。
名前 |
宇都宮城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
028-632-2989 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/citypromotion/kanko/meisho/jyiousi/1007275.html |
評価 |
3.6 |
宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。
関東七名城の一つ。
江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。
別名、亀ヶ岡城(かめがおかじょう)。
平安時代に藤原宗円が二荒山の南に居館を構えたのが初めである。
近世・江戸時代に改修され、輪郭と梯郭形式を合わせた平城であった。
本多正純の頃には天守があったといわれているが、清明台櫓を事実上の天守としていた。
また、徳川将軍の日光東照宮参拝の際に将軍の宿泊施設として利用された。
明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し、第2次世界大戦後に都市開発が行われたため、遺構はほとんど残っていないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明台、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般に公開されている。