名前 |
塚原平古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0964-32-1111 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
目立たないところにひっそりと、直径14mの円墳でコ字形屍床が配置された横穴式石室が残る。
20体以上の人骨が納められていたとのこと。
近くに古墳の守り人のような家があり、推測して、半農半漁で身分も農民、ぼちぼちの暮らしだったのではないかと。
1400年を超える間に、不知火海は江戸以降の干拓地ですので、昔は海も近く海の幸と山の幸も畑も出来て、暮らしやすい土地だったでしょう。
不知火の謎の火の伝説などがあるように、有力な豪族がいてもおかしくないようです。
景行天皇、ヤマトタケルにより九州が大和朝廷に吸収されたという事なのですが、それ以前に別勢力があったものと思われます。
戦後のいつかは分かりませんが、台風によってその一部が崩れ、古墳が発見され、発掘されるに至ったようです。
この古墳の山側、海側があり、説明にあるように、この古墳の中に20体も遺骨が見つかりました。
そういう古墳はまれだそうです。
大和朝廷とこちらの国が争ったなどの大きな変革期であったのかもしれません。
大和朝廷には、滅ぼした国の悪霊を恐れ、封印するために神道により祀ったような動きがあります。
あくまでも推測で、ストーリーとして考察していただければ、楽しいかと。