近年までいつ誰が作ったか、詳細が不明でした。
459体鎮座しているそうです。
材質は流紋岩で製作は慶長年間(1596~1615)ではないかといわれているそうです。
もちろん五百羅漢も味わいがあったけれど、それ以上に、住職ご夫妻の控えめなおもてなしと、境内の至るところに並べられた手仕事作品がセンス良く配置されていることに感服‼︎ 季節ごとに足を運びたい場所‼︎
数から想像してたよりもこじんまりとしています。
蚊が多いらしく虫よけスプレーを貸してくださいました。
季節が変わったらまた行ってみようかな。
播州薬師でお参りしました。
五百羅漢は心落ち着きます。
加西市北条にある五百羅漢素敵な庭が季節を彩る。
紅葉は終わりかけですね。
西日があたっていい感じでしたが、写真にすると表現できていませんね。
歴史を、感じます。
日本人の、真面目な性格、思いなどね。
色々な思い願いが感じられます。
都会の中にいきなり静寂な場所が現れます。
緑が生い茂り目の前で蝉が行き交う中での散策でした。
1つ1つじっくり見たいですが、何せ虫が行き交うので諦めました。
ほっこりします。
住職さんもとても親切です。
「北条の五百羅漢」いつ誰が作ったなど詳細が不明とされていましたが、平成27年に市の調査で、江戸時代初期に仏像が作られ、石仏は元々羅漢寺の南にある酒見寺にあり、寺の再興に伴う寺内整備や信仰・供養のために造立されたと考えられています。
高室石とよばれる地元の凝灰岩が使われており、4世紀の間訴えるような眸を見せて黙々として何事も語ろうとしませんでした。
この石仏の謎は、徐々に解明されつつあるのです。
もともと、石仏を造立することは、亡き先霊を弔う純粋な信仰心の表れであります。
(この石像群は戦国時代には一帯は荒廃し、寺も焼かれ、江戸期に入った17世紀初期に寺の再興が図られました。
その時に、釈迦三尊像と羅漢像が造られたと言われています。
)彫技はたとえ稚拙たりとは言え、石仏500を造立するために、その込められた、哀しくも美しく澄んだ信仰心に思いを馳せる時、しんとひきしめられるほどの純粋さに感心せずにはいられません。
江戸初期の石仏約500体がほぼ原型を留めており、「誰かに似た像が」と古くから民間の信仰や伝承の対象になっています。
ともあれ、色はさび、姿は風化して趣深い石仏を風変りで珍しい石仏群に一度触れてみてください。
この個性あふれる五百羅漢石仏は、近年までいつ誰が作ったか、詳細が不明でした。
ですが、平成27年(2015)に市の調査で、江戸時代初期に仏像が作られ、石仏は元々羅漢寺の南にある酒見寺にあり、明治以降、寺の再興に伴う寺内整備や供養のために造立されたと考えられるようになりました。
石仏は高室石とよばれる地元の凝灰岩が使われており、全て人の手によって彫られたものです。
機械で作るものとは違う手作業の風合いが、この石仏の魅力なのだと思います。
拝:2020/05/22
北条の五百羅漢石仏として、兵庫県指定重要文化財になっています。
羅漢寺の境内北面に459体の石仏が鎮座しています。
制作者は不明ですが、酒見寺の伽藍内であり当時の住職・隆辨と寺男・高瀬清右衛門などが関わり制作されたと考えられています。
技巧的には高度でありませんが、イースター島のモアイのように一体一体の表情に個性があり、その素朴さに惹かれる想いでした。
制作年代も不明ですが、慶長年間(1596年 - 1615年)ではないかといわれています。
材質は地元でとれる流紋岩です。
一説には帰化人をモデルにしたともいわれています。
古くから全国的に知られ「親が見たけりゃ酒見北条の五百羅漢に御座れ」と謳われ、大きさや表情の異なる多数の石仏の中には、必ず親や知人、または自分自身に似た顔があると言われています。
探してみるのも羅漢寺の魅力です。
1968年1月5日に市指定文化財に指定されました。
兵庫県観光百選にも指定されています。
さらに、2018年(平成30年)3月20日、兵庫県指定文化財(史跡)に指定されました。
かつては酒見寺(さがみじ)の伽藍の一部(五百羅漢)でした。
明治時代の廃仏毀釈後、官有地となり現在の地に薬師堂が移築され一寺院とされました。
名前 |
北条の五百羅漢 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0790-43-0580 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
ずっと見たかったです石仏好きにはたまりませんね。