道真公が立ち寄られたのは西暦901(延喜元)年頃(...
村社 老松天神社 早良郡入部村大字東入部中通祭 神天滿天神,老松殿,紅梅殿由 緒當社は延喜年中菅原道眞左遷の時の手植えの老松繁る故に老松と稱す。
其所を飛松とも云ふ,正暦二年社殿を立て神體を遷し天滿天神紅梅殿と稱す。
今宮を地主神とす,天正七年九月十一日兵火に罹り燒亡す。
怡土郡飯場村河内と云ふ所に曲淵河内守弟波呂新左衛門と申者あり是を頼み數ヶ年の間此所に居給ふ。
文祿年中社殿を建立し入部庄へ遷す,神領四十町八段餘の所太閤秀吉沒収す其後纔に神領殘りたるを小早川秀秋又沒収す,明治五年十一月三日村社に定めらる。
尙當社の御由緒略記に擧ぐる所次の如し創立は正暦二辛卯年二月十一日荒平城主小田部氏及び入部庄民の寄進により現在の社地に建立す。
其の由來は延喜年中菅公筑紫に御左遷の砌り,當社に御休息遊され,御手つから松を植ゑ給ふ,後其の松を飛松と稱し,今其の地の地名となれり,又御腰を掛させ給いし石を居敷石と稱す。
この時菅公に大宮司(今の攝社今宮社は當時の氏神たり)より御食を奉りけれは其の味を譽め給ふ。
故に太宰府天滿宮御祭神に際し,毎年大宮司より新穀を捧げ奉りしを明治に至りて此の行事止む。
菅公薨去の後大宮司大隈守廣續に御告有りて彼の御手植の松を崇齋し奉る。
其の後嫡子右京太夫廣貫病に臥し命も危かりしに老松に祈願を込めけるが忽ちに淸快す依りて松の下に一子を建て老松大明神と奉齋す。
一條天皇正暦二年元の社地に遷せしなり,其の時より老松宮を庄内の産神とし今宮社を地主神と奉齋す。
その後天正七年九月十日肥前の龍造寺隆信が三男江上上總守家種,荒平城主小田部氏を攻めし際,お宮燒打を蒙りて大宮司屋敷に至るまで殘らず燒亡す。
其の節大宮司光重の子和泉守光祥敵の侍大將執行越前と戰ひて戰死す。
其の後立花道雪の臣十時攝津守彈正及び小野和泉守の助により,怡土郡飯場村なる曲淵河内守が弟波呂新左衛門を賴りて,御神體を奉遷し此處に數ヶ年居給ふ。
文祿年中社殿を建立し,入部庄御社へ奉遷す。
往時は神領四十町八反有しを太閤秀吉に沒収せらる。
嘉應年中時の將軍より一町の寄進有り。
又文治年中西谷武蔵坊より上田五反寄進有り。
神領も其の後僅かに殘りしを名嶋の城主小早川秀秋復沒収す。
上古は社殿壯麗にして樓門神橋等ありしを數度の炎上あり,神領も沒収せられ祭事も多く退轉せり。
後村民之を嘆き,漸く慶長の頃より古の形ばかりを復し,祭祀を興し月々の五五の日には産子御宮に打集ひ御神酒お供えを供へ,往時の形ばかりを取り行へり。
特殊祭事一,追儺祭一月七日夜大豆九手を榧の生葉にて煎りて神前に供し,燈火を滅し神殿弊殿に至るまで「福は内,鬼は外,福は内,鬼は外」と三度云いて左右左と撒く,又参詣人の頭上にも右の如く言ひて撒く。
式後鷽替行事を行ふ。
一,御粥例二月十五日午前一時潔齋,参拜大祓奏上終わりて御粥を調製す。
白米三合(但し粒選りせしもの)小豆一合(同上)を煮たるもの三掬,鹽一掬を水三升にて煮,之を三つの金鉢に盛り,早田晩田の札を付く,終わりて御神饌と共に神前に供し神饌のみを撤下,御粥は神殿内に奉獻す。
二月二十五日に至り神饌を供へ五穀豐穣を祈りて之を撤下し蓋を取りて其の年の作物の吉凶をトす。
一,風祭七月二十五日氏子中男子参籠す祭典終わりて蟲札及び關札,五穀神風等を謹請せし大旗,小旗を氏子に下付す。
一,夏越祭 七月二十九日茅にて徑六尺の輪を作り,其の上を青赤白黑の色紙にて巻きたるものを拝殿に備ふ。
齋主祝詞奏上の後祓い串を取り,神饌を奉持せる氏子總代等を率ゐて先づ輪を祓ひ左右左と廻りて社前禊場に至り神饌を供し大祓奏上,形代,祓串,神饌等を川に流す。
一.宮座月次祭毎月二十五日執行す。
例祭日 十月十一日神饌幣帛料供進指定 昭和三年十一月九日福岡県神社誌 中巻ーーーーーーーーーーーーーーーー稱=称 體=体 禄u003d祿 餘=余 沒=没 纔か=わずか 殘=残 尙=尚 擧=挙。
松についてですが、道真公が立ち寄られたのは西暦901(延喜元)年頃(松ヶ根の井の板書より)です。
老松神社は西暦921(延喜21)年当時は菟道岳の中腹にあったようです。
991(正暦2)年に現在の位置に遷座したとのことです。
説話にある松は昔の場所のほうなのではないでしょうか。
静かで大きな木が体と心を癒やしてくれるビュ〜ポイントです。
😄
早良街道を北進していると、明らかに公園とは違う木々が見えたので来て見ると、神社だった。
菅原道真が太宰府行く途中で松を植えちゃったりなんかしちゃったりしたという話が伝わる神社。
大きな楠はあるんだが……。
老松神社は、天神様こと菅原道真が太宰府に行く途中に立ち寄り参拝したとの由来のある、福岡市農協入部支所の裏通りにある、わりと由緒正しい神社らしい、しかし枯れたのか松が見当たらない??数本のイチョウがみごとなので老松成らぬ老イチョウ神社とも思えるちなみ県内には菅原の道真さんか寄ったとかお詣りしたとかの老松神社それぞれの言い伝えがあるみたいで、県内には三カ所の老松神社があり、ここ東入部と、神松寺、太宰府の三カ所の他にも有りそうだ、ただここ東入部の老松神社の近所に、手を洗いに寄った泉も東入部区役所分所裏にあったらしい、見にいっても道端の水溜まりにしか見えないが?(追記2019/,11月)
大きな木があるから神社さんと思ってたらやはり導かれたみたいでした。
名前 |
入部 老松天神社 |
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ジャンル |
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住所 |
〒811-1102 福岡県福岡市早良区東入部6丁目20−16 |
評価 |
3.8 |
入部のじょうもんさんの近くです。
御神木と本堂の奉納された絵が素晴らしいですヨ❗👍