日本橋から11番目の塚です。
下野田一里塚(日光御成道) / / .
ムスカリ、ヒメキンギョソウが咲く頃に訪れました。
素敵な雰囲気です。
駐車場があれば人気スポットになりそう…白岡市がんばれ。
《残したい風景》日光御成街道 一里塚のエノキ春に根元のムスカリ、ハナニラが青々と美しい周囲の畑にはリナリア(姫金魚草・ヒメキンギョソウ)が圧巻です。
県指定史跡日光御成街道の江戸から11番目の一里塚。
街道左右の塚がよく保存されている。
しかし、当時の街道の幅は現在の道路より狭かっただろうから、道路の拡張に伴って移設されているのではないだろうか。
左右一対でちゃんと残っている貴重な一里塚です。
日光御成道で一対で残っているのは、私の知る限り都内北区にある西ケ原一里塚とここだけです。
後者は街中(警察署の真ん前)でこちらは畑の中にあって、対照的な背景です。
以下に看板の説明文を記します。
埼玉県指定史跡「一里塚」南埼玉郡白岡町下野田一里塚は中国で榎樹を植え銅表を立てて里数を記した堠塊(こうかい)の制に起源を持つ。
日本では一般に徳川氏が制度化したといわれている。
慶長九年(一六〇四)徳川家康は秀忠に命じて、江戸日本橋を起点として榎を植えた一里塚を築かせ、全国に普及させた。
一里塚の造築は、大久保長安が総督として司どり〔ママ〕、幕領は代官に、私領は藩主に命じて行わせた。
榎を一里塚に採用したのは、榎の根が広く張って塚を固め、塚が崩れにく〔ママ〕するためであった。
しかし、榎の代わりに待つなどを植えた地方もあった。
この一里塚は日光御成道に設けられたもので十一番目にあたる。
日光御成道は将軍が日光東照宮に参詣するための専用の道で、鎌倉街道と称される古道を整備して利用したものと思われる。
埼玉県教育委員会白岡町教育委員会。
日本橋から11番目の塚です。
名前 |
下野田一里塚(日光御成道) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
一里塚が両側残っている非常に貴重な場所です。