長門国にあった日本の古代山城。
長門城跡とは鬼ヶ城山頂のことでした。
ここが日本書紀にある長門城です。
その証拠に、白い色調の岩石の地質の山の頂上周辺に、茶と白が交互に重なったミルフィーユの様な岩(版築か!)が、裂けて散らばっています。
鬼ヶ城山頂あたりは花崗岩地質では無く砂鉄によるタタラ製鉄に向かない緑岩であるが、北西の山麓にあたる黒井、室津、涌田、川棚あたりは花崗岩地質で良質な砂鉄が産出した。
この花崗岩の風化したマサ砂を砕いて石灰と海水を混ぜれば、コンクリートの様に固まり、版築土塁に使われる。
すなわち、麓の室津港あたりの花崗岩が風化した赤土を鬼ケ城の山頂に運び上げて、山口県には豊富な石灰石と海水を混ぜて圧縮すれば、コンクリートの様な版築土塁が出来上がる。
西の梅ケ峠にある旧梅光学院大学キャンパス跡地が実は応神天皇の軽島豊明宮です。
ここが下関から九州一帯の古い神社の基準点になっています。
名前 |
長門城跡 推測地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
長門城(ながとじょう/ながとのき)は、長門国にあった日本の古代山城。
城跡の所在地は不明。
白村江の戦いでの敗北を契機に築かれた城で、『日本書紀』には天智天皇4年(665年)と天智天皇9年(670年)に長門国に城を築いたとする記録があるが、城名や所在場所に関する情報がないため、地元史家の間で諸説がある。