東側の溜池ほとりの参道入口の由緒板から引用します。
細い階段を上がっていきます。
隠れ神社みいたいで好きです。
行方市富田の小高い山上に鎮座する神社。
地元の住民からは【七面様】の愛称で信仰を集めている。
羽黒神社の開基は一乗寺の始祖【日孝上人】が元禄十三年(1700年)二月に法華経の守護神である【七面大明神】を、ここ羽黒山に祀った事に始まる。
享保二年(1717年)には拝殿が完成し、同四年(1719年)には石段が寄進され、更に文政五年(1822年)二月になると本殿並に拝殿が建て変えられたと伝えられている。
現在我々が目にする拝殿は昭和五十四年(1979年)に新築されたもので、鬱蒼とした森の中に静かに鎮座している。
名前 |
羽黒神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
東側の溜池ほとりの参道入口の由緒板から引用します。
「一乗寺の初祖・日孝上人は、元禄十三年(1700)二月、法華の守護神を、ここ羽黒山上に祀り、七面大明神と称した。
享保二年(1717)に拝殿が完成し、同四年に石段が寄進され、更に文政五年(1822)二月には、本殿並に拝殿が建てかえられた。
現在の拝殿は昭和五十四年に新築されたものである。
大祭は十月九日で、大鳥居に毎年大しめ飾が奉納され、その耐久の度合いによって農作物の吉凶を占ったと伝えられている。
祭神は吉祥天女である。
」なお、茨城県神社誌によれば、御祭神は倉稲魂命で、維新の際に七面明神を羽黒神社と改称。
明治6年村社列格、大正4年供進指定とあります。
さらに、明治40年に鳥見神社と霞稲荷神社を合祀したが、常陸国風土記行方郡の条にある「郡家より南二十里に香澄の里がある。
大足日子の天皇(景行天皇)が、下総国の印波の鳥見の丘より望み、東を振り向いて「海には青波が漂い、陸には赤い霞がたなびくように国が見える」と言われた。
以来、その地を「霞の郷」と呼ぶやうになった。
里の東の山にある社には榎、槻、椿、椎、竹、箭、やますげが多く繁る・・」とあり、「即ち鳥見神社は印旛鳥見丘と相対するをもって鳥見の社といふ」としています。
長くなりましたが、精細にして色鮮やかな彫刻に彩られた御本殿には、いささか驚きました。
これを拝見するだけも、1時間半もかけて来た甲斐が十二分にあります。