南北朝から家康による改易まで。
松岡本城の先端、郡内を一望できるところにこの標柱がある。
松岡城は、下伊那郡内においてその規模も大きく、大変りっぱな城跡である。
東に天竜川のぞみ、 下市田から急峻な段丘となっている本丸跡は、標高560メートルの高さにあり、東西に、間ヶ沢と銚子ヶ洞と言う自然の堀に囲まれている。
新井に近い西の惣構 (そうがまえ)は現在松源寺があるが、それぞれの郭(くるわ) 間には、深い堀跡もあり、土塁(どるい) も築かれている。
松岡氏は、牛牧の次郎城をはじめとして、下伊那北部に12 余りの支城を持ち、天正11年(1583)頃は松岡80騎といわれる程の勢力を持っていたが、天正16年(1588) 14代貞利の代に、徳川氏によって改易になったと伝えられている。
松岡城は、本城の隣りに南城もあり、現在は高森町文化財となっている。
(林 藤人『ふるさとの碑』飯田共同印刷株式会社2001年12月1日発行より)
平安から戦国時代の松岡氏の城跡です、眺めが良い眼下に天竜川も望む。
高森町の中段道から、お寺の裏に入った所に静かな佇まいが。
城があった場所だけに、正面まで進むと、天竜川沿いの景色が一望のもとに。
当時の城の立地が確認できる。
空掘の跡もいくつか確認でき、桜などの古木が幾本も立ち、かつて城の賑わいを想像させてくれる。
思わず、此処が屋敷で、此方が小兵の詰処でと勝手な想像を働かせてしまう。
城好きなら、そんな楽しみが有ってもいいだろう。
とても景色の良い城址です。
桜の時期は、満開です。
標高560m、比高約100m整備されててお散歩にイイトコヽ(´∀`●)ノ♪..しかーし畝状竪堀群は見えない(ヾノ・ω・`)崩れてヤブのなか...お隣の松岡南城のほうがウネタテ見れるカモ
思ったより良かったです⁉️
晴れてたら 気持ちいいだろうなーつづら折りみたいな 堀、堀。
井伊直親公、所縁の城!
名前 |
松岡城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
南北朝から家康による改易まで。
松岡氏。
曲輪、竪堀、横堀あり。
帯曲輪が多くなかなかおもしろい。