名前 |
理兵衛堤防 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
理兵衛堤防の一部を復元したものが天竜川右岸天の中川橋の近くに展示されている。
中川橋のたもとにはポールが立っており車両進入できない様子。
国道153号側に併設されている公園には10台程度の駐車場あり。
このGoogleMapに掲載されている写真が理兵衛堤防再発見時の歴史的な写真といえる。
簡単な歴史理兵衛堤防は松村家の祖である松村理兵衛忠興(ただおき)が、天竜川の度重なる洪水で領有する前沢、田島、小平、七窪の四ヶ村の大半が被災するため堤防築堤を構想した。
その後、子孫の松村理兵衛忠範(ただのり)が正徳5年-1715年6月18日に発生した未(ひつじ)満水の洪水を経験し築堤を決断した。
忠範の息子忠欣(ただよし)が寛延3年-1750年に築堤開始した。
大土木工事のため、息子常邑(つねむら)、孫忠良の三代にわたる工事となり、完成は文化5年-1808年。
実に工期58年間・総工費32000両の大事業であった。
忠欣は築堤資金捻出のために酒造業を始めたといわれる。
最初は小さな石を組む方法を採ったが、氾濫で流されるため、尾張から築堤に通じた職人を呼び寄せ、大石を積む工法に変更した。
(「理兵衛堤防」下平元護著 語りつぐ天竜川第四巻収録を参照)