名前 |
永井荷風文学碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
永井荷風の「松しける生垣つゞき花かをる菅野はげにもうつくしき里」の歌とともに、『断腸亭日乗』昭和21年5月11日の条「白幡天神祠畔の休茶屋にて牛乳を飲む 帰途り緑蔭の垣根道を歩みつゝユーゴ―の詩集を読む 砂道平らにして人来らす 唯鳥語の欣々たるを聞くのみ」が彫られている。
作家は、戦後市川の菅野、ついで八幡の町に住み、亡くなる昭和34(1959)年4月30日までの約13年間、創作し、この白幡天神社を含む町内を散歩し、浅草にストリップを見に通い、京成八幡駅前の大黒屋(惜しくも廃業)でお銚子一本付きのカツ丼を食べ続けていた。
終焉の地は、このGoogleMapsにも記載されているが、住宅街の中で通りすがりの者は入れないので、彼の足跡をたどるには、この文学碑くらいしか形になったものはない。