ここに弁財天尊がいたなんて!
ここに弁財天尊がいたなんて!知らなかったしっかり手を合わせる。
開発でここに移転されたようだが、良く手入れされたお宮。
文明開化直前の慶応(元号)時代、河川の水害(水深)に苦しむ農家の訴えを受けた「庄やどん」小池家第?代当主又兵衛は、地元の名士清宮勇次郎らと合議、協力して近江琵琶湖中の弁財天を勧請し、当地に祀ったのがこの場所です。
傍らに佇む大谷場不動尊には成田山新勝寺(真言宗智山派)御本尊の分霊が安置され祀られています。
草々
弁財天のご由緒は、石碑によると、慶応の時、荒川の水害に苦しむ住民に請われ、当時の名主小池又兵衛が立ち、清宮勇次郎等代表6名と協同して、近江の琵琶湖中の竹生島の弁財天を勧請して、当所に祀ったとあります。
境内には、他にも、大谷場不動尊が安置されいて、成田山の分霊を祀っています。
150年以上の歴史がありますが、風雪に傷み、昭和56年に新築されました。
名前 |
小池辨財天 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
区画整理により移転したが、近くにあり、区画整理により作られた公園はこの弁天さまの名前から弁天公園と名付けられたものと思われる。
境内には大谷場不動講が祀られており、奥の中央の赤い屋根がこの弁天さまである。
弁天さまの手前には小さな池があり、橋で渡るようになっているが、池には水は張られていなかった。