春野の町から気田川沿いにしばらく進んだ先。
ここの道は急カーブが続く見通しが悪い上に狭く、また崖沿いのためガラが多く、二輪組はパンクやスリップに気を使いながらの走行を余儀なくされますのでご注意を。
橋の手前の鬱蒼とした切通の上に城砦があったそうです。
ここは古くから信州からの街道となっており、軍事的に重要な道筋でした。
そのため、室町期にこの辺りを支配していた天野氏の支城として機能していたそうです。
その後、徳川家康の遠江侵攻に際して、ここも今川氏の同盟相手だった武田勢の援軍を封じるため、ここも徳川軍によって落城しました。
名前 |
勝坂城砦案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
道路沿いに案内看板があるのみで、岩の上に登る階段は有りますが、上には何かの観測装置が置かれているのみです。
しかし地形的には切り通しであり、防御には絶好の場所です。