水争いを終結させた日影石として有名です。
水争いを終結させた日影石として有名です。
同石の北側に位置する笠田大溜では、古代からあり「伊勢風土記」には野摩池(やまいけ)と記載されていました。
江戸時代初期に、池の改築、広野の開墾等を実施し、同時期に大池新田 正木嘉兵衛義次も水を求めて大泉川を開鑿し、1634年に溜池が完成し「笠田大溜」と名づけられたそうです。
その後、笠田大溜を利用する四か村では水争いが絶えず死者まで出たので、1847年に当時の大泉新田の里長をしていた懸野松右衛門の考案で、夕陽のあたる水路の分岐点に「刻限日影石」を建て、この碑で計った時刻をもとに、池の水が公平に分配され、争いが起こらなくなったそうです。
同日影石は昭和42年に、県の有形民俗文化財に指定されました。
現在同日影石に至る道路は付近の道路工事の影響で通り抜けは出来ませんが、日影石及び笠田大溜までは南側から車で行く事は可能です。
駐車場は無いですが、近くの神明社前には駐車スペースがあります。
名前 |
刻限日影石 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
歴史を感じることができる史跡です、