名前 |
若槻里城公園 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.8 |
北方の三登山の中腹にある若槻山城に対応した居館で、 鎌倉時代初期に山城とともに若槻頼隆によって築城されたと伝えられている。
戦国期には、高梨氏の要害であったといわれ、弘治3年の上野原の戦いなど、上杉・武田両軍による攻防戦はこのあたりでも繰り広げられました。
周囲に堀を巡らした城跡は用水池となり、一部は埋められ水田、畑等の用地に転用され、遺構の多くは消滅しました。
昭和40年頃には若槻団地が造成され、里城池と公園には往時の面影を残している。
善光寺平に残る城館跡の中で、山城と一対になって残されたものは他に例がなく、貴重な史跡となっています。