西金砂山の頂上にある神社で「元金砂神社」とも「金砂...
元金砂神社(金砂山王宮) / / .
西金砂山の頂上にある神社で「元金砂神社」とも「金砂山王宮」とも言われています。
頑張って階段を登りましょうww創建当時は、比叡山延暦寺の伽藍を模した七堂伽藍中堂を設け、千手観音を諸沢村堂平に、鐘楼と経堂を赤土村太平山に建てたほか、中染村羅漢沢に十六羅漢を祀りました。
中世は佐竹氏の厚い崇拝を受け,近世には,徳川光圀公の宗教政策によって西金砂山から社寺や古仏像を廃し,僧侶を別の地に移すとともに,社地26石を寄せられました。
社地は自然林に囲まれた西金砂山の一帯を占めており,御神木の老杉,大イチョウ,大サワラなど,茨城県の天然記念物にも指定されている名木の数々を見ることができます。
72年ごとに行われる大祭礼や6年毎に行われる小祭礼,それらの際に奉納される田楽舞(ともに茨城県指定文化財)でも名を馳せています。
以下は神社庁からの転載です。
【御祭神】大己貴命猿田彦命【御神徳】安産・商売繁盛・家内安全【御由緒】大同元年3月の創立と云う。
本国疾病凶荒の故に平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人近江の国滋賀郡坂本の山王権現日吉山王を遷し祀れば忽ちにして流行病治まりぬ。
即ち金砂神社創始の地であり下宮上宮の本宮であるので、その威徳を称え元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされて今日に至る。
因みに、小祭礼の折り松平より当山を仰ぐ処、礼の宮と称して奏楽を止め礼拝する習いがあり、反すれば異変があると言われる。
昔時、佐竹藩より7名の御付人有り、御出社に際しては、御使者が立った。
地所の儀も当千手村を始め、和田村・東連地村に亘り、御叙地14石4斗8升を有す。
明治6年村社に列す。
金砂の大神は、水木海上より紫雲棚引く当山を仰ぎ見て御鎮座されたと伝えられ、欅・椎・榊等の巨木が鬱蒼として繁茂する貴重な永久天然林を形成している。
山上には、金砂神社の御本殿があり、麓の礼拝殿は十一面千手千眼観世音菩薩を祀る御堂跡で、往時は回廊付きの壮麗な堂宇であった。
【祭礼】4月3日9月19日。
とっても空気が良いです階段はキツイですよ(笑)
名前 |
元金砂神社(金砂山王宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0294-72-5440 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/ibaraki/kenhoku/jinja/05008.html |
評価 |
4.4 |
東西の金砂神社が山岳信仰の地として発展しているが、その元宮がこちらだった模様。
この話が本当ならば、相当歴史は古い。
現在は簡素なお宮があるだけでやや寂しいが、雰囲気は味わえる。
佐竹氏の時代には繁栄していたようだが、それが仇となったか、水戸藩にはあまりよく思われていなかったようだ。
神仏を分離されたりと、冷遇と言って良い処遇を受けている。
場所はかなりの山中で往時は秘境だったと思われる。
現在は車で麓まで行くことができるが、駐車場は見つけられなかった。
民家の(相当の急斜面に数軒あって驚いた。
昔は山城の意味も兼ねていたか?)脇の道を通っていくと、神社につながる参道が有る。
参道にはお地蔵様と思しき石像が脇にあったのだが、首がもげていた。
享和の年号が石碑に掘られていたので、幕末の動乱時に尊皇派に壊されたのかもしれない。
大震災の影響かあるいは経年劣化か、階段は崩れており、大きな木がごろりと倒れていたりするのでやや注意が必要。
こう言った山中のお宮は、今後過疎化が進んでいくとひっそりと消えていくことになるのかもしれない。