ほぅほぅ(u003d`ェ´u003d)と思います。
桜が綺麗でした。
この石碑の下にある小道、遊歩道の様な感じですが入り口に柵があり、普段は入れない様でした。
水道は、都市機能を果たすための重要なインフラです。
気にしないで普段は生活していますが、昔の遺構をみると一大事業であることがわかりますし、当時としては相当の工数をかけた幕府一台事業でしたでしょうね。
ちゃんと遺構として後世に残してくれているところが東京もやるじゃん、という気持ちにさせてくれます。
見ておいて損はない遺構です。
紅葉も綺麗だよね❗
ひっそり佇んでいます。
江戸時代、小石川後楽園から流れてきてきた神田上水は、ここの懸樋(かけひ)で神田川を跨ぎ、神田や日本橋方面へ流れていました。
シーバス。
55センチ。
神田川上水跡。
5月に撮影。
これも若干え?って感じがします。
石碑のみです。
対岸の坂道途中には案内板があります。
江戸時代に江戸城と神田上水の立体交差した水道の橋があった場所なんです。
しかし神田上水は現在のように地下になく地面近くを流れていたので不衛生でした。
皀莢坂(さいかちざか)の途中で、看板を発見した。
対岸に碑とかあるようだが、こちらからは、中央線の線路位しか見えないです。
碑には、「江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水 の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。
明治三十四年(1901)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。
この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。
この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。
」とあった。
飲み水を運ぶ上水道を樋(ひ)というらしい。
そして、懸樋(かけひ)とは空中にかけられた樋のことで、当時は木製の樋(木樋)がこの辺の川の上空をクロスするように懸けられていたようだ。
今は石碑があるばかり。
濁ったどぶ川と中央総務線がよく見える。
江戸時代の神田上水の懸樋跡、現在は石碑のみです。
対岸の千代田区神田駿河台にも看板が有ります。
周辺にソメイヨシノの桜並木、左側にイロハモミジが植えられています。
神田上水の関連情報として本郷給水所公苑に神田上水と白堀部分が復原展示されています。
江戸時代の神田上水の懸樋跡、現在は石碑のみです。
対岸の千代田区神田駿河台にも看板が有ります。
周辺にソメイヨシノの桜並木、左側にイロハモミジが植えられています。
神田上水の関連情報として本郷給水所公苑に神田上水と白堀部分が復原展示されています。
名前 |
神田上水懸樋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
2023/1/28ゆき散歩☺️近くにある水道歴史館も見ておくと、ほぅほぅ(u003d`ェ´u003d)と思います。