越前大野城と合わせて訪れたい所です。
あの織田信長をも苦しめた朝倉氏の墓所が、かの一乗谷から結構離れた大野市にあるとは、御清水を訪れて偶然知りました。
確かに影も形も無い程に滅んだ一乗谷に、朝倉氏の墓所だけがポツンと残っている方が違和感ありますが····。
他の方の口コミにもありましたが、住宅街に有るが故、自分が訪れた時も近所のお子さんが普段使いで遊んでました。
よくよく考えると墓場で遊んでるんですよね?。
普通の墓場ならあり得ないかも知れませんが、それだけ墓所で有る事を感じさせない開けた場所となってます。
····でも朝倉氏をしみじみと偲ぶには雰囲気に欠けるのかも?!。
住宅街の中の小さな公園の中にひっそりとあります。
小川から湧水が沢山出ています。
小さな公園内にあります。
駐車場もあります。
清水が湧き出ている池が2つあり、水琴窟もありました。
清水が出ている1つの池は、水深も浅く小さな子がおばあさんと水遊びしていました。
キレイな清水で遊べる環境って素晴らしいなと思いました。
我が子も小さければ少し遊ばせたかったです。
朝倉 義景(あさくら よしかげ) は、戦国時代の武将。
越前国の戦国大名。
越前朝倉氏第11代(最後)の当主。
一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)は、天正元年8月(1573年9月)に織田信長と朝倉義景の間で行なわれた戦国時代の合戦で義景は自刃を遂げた。
享年41。
大野城を観光している際に偶然発見。
一乗谷の近くにあるのかと思っていました。
キレイに整備されています。
朝倉義景の最後の地ですが、あまり思いにふけることは出来ませんでした。
ご近所さんやサボリーマンの憩いの場所的と思えました。
ここまできれいに整備されている戦国武将の墓所も珍しい。
緑の苔が美しいですね。
隣接する義景公園に駐車場もあり、義景清水と呼ばれる湧水が清浄感をより一層高めてくれています。
南無🙏義景の首はドクロの盃になったとか。
その後不明…(^_^;)
水琴窟が、良い感じでした。
#朝倉義景墓所#湧水ここは戦国時代の武将、越前国の戦国大名で越前朝倉氏第11代最後の当主『朝倉義景』の墓です。
住宅街の中にある小さな公園にあります。
周りはには湧水も湧いていてとても涼しげな場所にあります。
越前大野城と合わせて訪れたい所です。
住宅街に突如として現れる墓所。
時代を読み切れず最後は身内に裏切られた武将。
事情はいろいろあったんだろうけど。
大野城の見学の後、街の標識に朝倉義景墓の案内があったので急遽立ち寄りました。
浅井&朝倉連合で有名な朝倉義景墓が、こんな所にあるとは思ってもいなかったので以外でした。
墓の前には湧き水がありイトヨが生息しているそうです。
朝倉氏と云う方は、同盟(友情)を大事にしたばかりに、浅井長政一族と共に“滅び”の道を進んでしまった、言わば悲劇の武将と言えるのではないでしょうか。
名前 |
朝倉義景墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.ono.fukui.jp/kanko/kanko-joho/guide/yoshikagebosho.html |
評価 |
3.6 |
一乗谷の戦いで敗れた朝倉義景は大野に逃れていくが、ここで家臣の裏切りにあい自刃し朝倉義景は亡くなった。
その墓が今でも静かに残る。
湧水の音だけが響く静寂に包まれた場所だった。