サクラの咲く時期はキレイな場所です。
3月4日早朝、政府軍第2旅団の野津支隊が悪天候を利用し、吉次本道から薩軍の奇襲を試みた。
これを受けた篠原は、村田とともに川尻からの増援部隊を基幹として反撃に出た。
篠原は左翼隊三ノ岳中腹から、村田は半高山からそれぞれ官軍左翼を攻撃。
このとき、同郷の出身で元部下の近衛歩兵第1連隊第2大隊長・江田国通少佐は、濃霧と雷雨の中、赤裏の外套をひるがえし、銀装刀を揮い、陣頭に立って部隊を指揮する篠原の姿を前方に認めた。
すぐさま江田少佐は射撃の上手い兵に赤裏の外套を目印として狙撃を命じ、弾を数発受けた篠原はその場に崩れ落ちた。
享年41。
篠原を失った薩軍は、復讐心から逆に戦意を高め、江田少佐を斃し、官軍を原倉まで退けた。
サクラの咲く時期はキレイな場所です。
なぜこの場所で篠原国幹が戦死したのかと思っていたが、吉次峠を攻撃した政府軍を半高山と三ノ岳中腹から挟み撃ちにし、一時は政府軍を追い落としたが、やがて吉次峠の西側が主戦場になり、その戦いの中で狙撃されて亡くなったそうです。
木葉も高瀬も見渡せる場所でした!
桜の季節に来ると綺麗なようです。
名前 |
西南戦争 吉次峠の戦い 篠原国幹 戦死の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
歴史を感じます。