加藤正方が新たに築いたのが八代城です。
続日本100名城190のスタンプは、八代市立博物館未来の森ミュージアムに設置されています。
堀の北東に無料駐車場もあり、とても良く整備されていました。
八代城跡元和5年(1619)、大地震で麦島城が崩壊したため、加藤正方が新たに築いたのが八代城です。
本丸には4層5階の大天守と2層2階の小天守、7棟の櫓をはじめとする建物がありました。
城郭全体の石垣には石灰岩が使用されています。
寛永9年(1632)細川忠興が入城、さらに正保3年(1646)、松井興長が入城して以来、明治3年(1870)の廃城まで、松井氏が治めました。
この間、寛文12年(1672)には雷火で大天守が焼失しました。
城跡は市民公園として整備され、天守台・本丸跡の石垣、堀などが残存しています。
桜の名所でもあります。
平成26年(2014)に国史跡に指定されました。
八代城は1870年から解体され、現在は石垣とお堀が残るのみの城跡となっています。
【熊本県立八代工業高校】様が模型と写真を合成された写真を載せておられました。
ご興味あられる方はご覧下さいませ。
熊本城の影に隠れ忘れられがちですが残された石垣と堀は相当なスケール。
無料駐車場が10台位、夜はほぼ真っ暗。
天守閣攻めるには懐中電灯無いと木の根に躓いて石垣から落ちます。
もっと整備してゴミ片付けて櫓の一つも再建すれば立派な観光資源になるのに。
八代駅からは2キロ以上離れています。
公共交通機関なら産交バスで来ることが出来ます。
ほんと市役所のそばですね。
肥後の国って一国一城令の後も例外的に城二つを認められていたんですね。
麦島城というのが崩壊してしまい、加藤家時代に作られたのがこの八代城になるというわけです。
地名が松江だったことから松江城とも言うそうです。
石垣がかなり特徴的で旧麦島城の石垣以外に用いたのが八代産の石灰岩だそうです。
加工の難しい石灰岩を使うなんて凄い技術力だと思います。
炭酸カルシウムの含有率が高いと白色を呈するので、白鷺城とも呼ばれるそうです。
加藤家改易後、細川家が肥後を治めることになり、1646年に筆頭家老の松井興長が入城、以後維新まで松井氏が城代を勤めたとのことです。
城内には住民の請願で建立された八代宮があります。
城跡にしては立派な石垣と堀が残る八代城跡。
細川家が熊本藩へ移封後、細川忠興の隠居城にして後に細川家家老松井氏の居城となります。
石垣の上を堀に沿って歩けます、歩いていると所々に櫓跡を示す碑が建っているので、当時の城の威容が窺えます。
当然柵などは無いので歩く際は注意が必要です。
城内にある八代宮も色合いに派手さは無いものの、木目が美しい荘厳な社殿が目を引きます。
上物はありませんが、石垣だけでも見学する価値はあると思います。
私は2月に行きましたが、春の桜が咲く頃に行けば本当にきれいな場所だと思います。
八代駅から歩いて20分ほど。
ここは石垣パラダイスです。
最初にグルっと周囲を歩き、その後で中を歩きました。
石垣の上を歩いていると、時の経つのを忘れます。
立派なお堀と石垣が残ってて、城内に神社があります。
八代市役所の隣りにある城跡をみに来ました。
今は落雷でお城がなくなりましたが立派なお堀と石垣が残っています。
建造物は残っていませんが城内には神社が建立されています。
江戸時代に幕府は一国一城制度としていましたがここ肥後国については特例的に熊本城とここ八代城の二城を認めていたようです。
駐車場は市民駐車場が利用できます。
続日本百名城の190番江戸時代に幕府より特例を許され築城された城。
立派な天守閣があったそうだが落雷により焼失、他の建物も同じく焼失したという。
その後、復元されることも無かったそうで現在残るのは本丸を囲む内堀とその石垣となっている。
石垣の上を歩けるのでぐるっと回ってみるのも面白い。
名城スタンプは立博物館未来の森ミュージアムにて押せます。
八代市役所の隣りにあります。
立派なお堀と石垣が残っています。
建造物は残っていませんが城内には神社が建立されています。
江戸時代、幕府は一国一城制度を維持していましたが肥後国については特例的に熊本城とここ八代城の二城を認めていたようです。
八代が海に近く交易面で重要な場所であったということだと思います。
敷地内にはところどころに熊本県のキャラクターくまもんがいます。
駐車場は市民駐車場が利用できるようです。
お堀を一周して外側から観ることができますッ!立派な石垣やお堀に圧巻ですッ❗本丸跡には八代宮が鎮座しています。
大天守跡や小天守跡は見所のひとつではないでしょうかッ!石垣の上からお堀を眺めるのも最高ですッ!およそ2時間以上は歩き回り感動と興奮の連続でしたッ❗素晴らしい城跡でした。
無料駐車場ありです。
八代駅からバスで「市役所前」か「八代宮前」で降りると目の前が城です。
だいたい10分くらいで着きます。
運賃は160円です。
城の周りに食事場所がほとんどないので、途中で何か買われてから行った方がいいです!
石垣が残っており、内部は八代宮という神社になっています。
石垣の上に上がることが出来て、八代の町を一望できるぐらいの高さがあって気持ちいい場所です。
堀、石垣は当時思い出せ良い。
何か物足りな感を感じる。
堀の側に小さいが無料駐車場有り。
所々にくまモンの八代城の説明などがあり楽しいです。
広いのに隅々まで手入れが行き届いている。
駐車場が無いのが残念歩いて神社へ行くのも楽しみの一つ。
続日本100名城に認定されてます☺️石垣素敵♡
立派な石垣が残っている城跡でした。
所々に門跡の看板がありました。
本日初めて城跡を歩いた。
お堀から立派な石垣を眺め、登り、城内を歩いた。
八代城もなかなか立派な石垣で見とれてしまった。
もう少し市の方がここの観光に力を入れて発信すればもっと賑わうのではないかと歩きながら思った。
素晴らしい史跡を体感できた。
日本城郭協会認定…続日本100名城八代城址です。
石垣が御立派で周囲にお濠があって…更にその外側に歩道が整備されていました。
本丸は神社の境内になっていました。
いやあ、圧倒的に素晴らしい城跡でしょう。
天守台の天辺まで登って町を一望できるような城跡は、最近ではなかなかありません。
天守台から堀に落ちたらとても痛そうなので注意しなくてはいけませんが。
とにかく石垣の上に登って城跡の周りを一周できるのは、本当に貴重な経験です。
ありがとうございます。
かつての偉容については、近くの博物館で復元模型を拝むことができます。
お花見ついでに訪問しました。
舟巡りや人力車にも乗れるみたいです。
徒歩でのんびり城跡内を季節毎の景色を楽しみながら散策するのも良いと思いますよ!
名前 |
熊本県八代城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003387/index.html |
評価 |
3.9 |
ここにある八代城は、松江城とも呼ばれていました。
八代城は、南北朝時代に造られた古麓城と安土桃山時代に造られた麦島城もその名でよばれており、この三つの城趾を含め八代城跡群といわれています。
松江城は、加藤清正の次男加藤忠広が1620年に幕府の許可をもらい加藤正方に命じ建てさせました。
1622年に竣工しました。
1615年にでた一国一城令の中では、熊本藩のようにニ城造るのは異例の事でした。
1632年忠広公が改易されると、小倉藩藩主だった細川忠利公が54万石肥後熊本藩藩主として熊本城に移封され入城します。
忠利の父細川忠興は幕府の内命を受け八代城に入ります。
忠雄は隠居とし四男の立孝を藩主とします。
1646年には島原の乱で活躍した肥後熊本藩筆頭家老松井興長が3万石大名として移封されます。
その後明治3年まで受け継がれることになります。
現在は、お城の石垣とお掘りが残るだけで城郭は見られません。
八代城趾中央には八代宮がまつられています。
城内にも井戸の跡がかくにんできるくらいです。
築城時には本丸の北西隅に4層5階建の大天守と2層3階の小天守が渡櫓でつなかれいたそうです。