筑紫野市・小郡市の市境としての役割を今も果たしてい...
子供の頃自転車で筑前国と筑後国のこの境界石を発見しました。
そしてこの道が薩摩街道だったということも。
この境界石がきっかけで歴史好きに目覚めました。
【薩摩街道、筑前・筑後国境石】史跡自体は立派なものであるが、説明板が劣化して字が読み取れない。
対面にある御神木の切り株が印象的。
薩摩街道沿いの筑後・筑前両国の境(現在の小郡市・筑紫野市の市境)には、大きな石碑がふたつ建てられています。
小郡市側の碑を乙隈境石、筑紫野市側を馬市境石といいます。
小郡市側のものは久留米藩士である佐田修平(さた しゅうへい)の文字で「従是南筑後國」、筑紫野市側のものは福岡藩の書家である二川相近(ふたがわ すけちか)の文字で「従是北筑前國」と書かれています。
薩摩街道は参勤交代道であったため、一般の旅人たちだけでなく、島津家や柳川の立花家と言った九州でも主だった大名たちが通過していました。
そのために、単純に国境を示すだけではなく、藩のメンツをかけて見劣りしないものを建てる必要があったのだろうと推測できます。
後から作った筑後側の国境石が、筑前側に比べて微妙に大きく、また綺麗にそろえた石材を使用していることからも、境界を接する大名同士の対抗意識がうかがえます。
小郡市教育委員会が平成17年(2005)に行った測定によれば、乙隈境石は棹石部分が約49cm角で、全体の高さが道から約4.06mであったそうです。
昔の境を、改めて知りました、
昔の筑前と筑後の国境を印す石碑になります。
この通りが昔の薩摩街道です。
名前 |
乙隈境石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
廃藩置県により国境はなくなりましたが、筑紫野市・小郡市の市境としての役割を今も果たしています。
っていうとこが好きです。
近くに駐車可能です。