三山分立時代に南山城の出城として築かれたといわれて...
真壁グスクは三つの郭から成るグスクで、三山分立時代に南山城の出城として築かれたといわれています。
地元では「寺山」と呼ばれ、南側のグスクの入口近くには真壁神宮寺が建っています。
伝承によると、「喜壁按司は白馬を飼っていた。
その馬をめぐって国頭按司との間に争いが起こり、喜壁按司は戦いに敗れた。
忠義心の厚い白馬も主人の後を追って死んでしまったという。
のちに、真壁按司の子孫が按司の倒れた場所で霊石を見つけ、それを祀るために建てたのが真壁神宮寺の始まり」と伝えられています。
(球陽外巻 -遺老説伝-1745年)当グスクは、1995年8月~9月にかけて市教育委員会によって発掘調査が行われました。
調査は展望台のある一の郭を中心に行われ、堀建柱の建物跡が確認されています。
出土遺物にグスク土器、外国産磁器、鉄器、古銭、炭化米、獣魚骨などがあり、14~16世紀に栄えたグスクであることが分かりました。
グスクは真壁集落の北川の丘陵に築かれ、三つの郭からなる連格式になっており、グスクの周囲は野面積みと切り石積みからなっている。
グスク内で最も高い所が一の郭(主郭)で、その下に二の郭があり、入り口の真壁神社あたり一帯が三の郭にあたる。
平成9年2月 糸満市教育委員会の説明板より。
名前 |
真壁グスク |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
5.0 |
三山時代の南山の出城。
門のような巨岩は迫力があります。