金ケ崎城跡を訪ねた後に立ち寄りました。
お城はないけれど、真宗のお寺さんがあります。
素敵なお言葉が掲げてありました。
背筋がピンっとします。
今更ながら言う事は有りませんが、大谷刑部吉継の城跡です。
今はお寺ですので節度を持って参拝して下さい。
菩提寺で有り、住職の人柄がとても良い御方です。
小学校とお寺に面影が残ります。
『大谷義吉継 敦賀城跡』の石碑が建っています。
昔は今の感覚で言うと、日本地図が上下逆で、ここが表日本の海運の中心地だったところ。
そう思うと、趣がありますね。
未だに戦場の臭いのプンプンする時代におもいっきり平城ってめっちゃ珍しいよなー💦名将大谷吉継はいったいどんな了見で敦賀城を建てたんやろ?
敦賀城🏯の城主は、大谷吉継です。
石田三成の唯一の友達です。
お互い長浜の出身で、秀吉の三献の茶で有名な、時代をともに、すごしています。
長浜城城主の豊臣秀吉は鷹狩りに向かい、喉が渇いたので、近くの観音寺(米原市朝日町)へ立ち寄り、この寺で小姓をしていた三成が秀吉にお茶を振る舞います。
一杯目は、喉が渇いていて沢山飲みたいので、ぬる目のお茶を振る舞い、二杯目は少し暑いお茶を三杯目は、熱い茶を振る舞いました。
この行為を見て感心した秀吉は、三成を秀吉の小姓として取り立てています。
これが秀吉と三成の出会いで三献の茶としてのこっています。
また2人の蜜月ぶりの逸話があり、吉継は今で言うハンセン病に罹患していましたので、茶会のとき、吉継の飲んだ茶碗は感染の恐れから、誰ものみたがりません。
その時三成は、躊躇することなく、口をつけ飲み干します。
さらにもう一杯飲みたいといっています。
また関ケ原の闘いのとき、大谷吉継は、東軍に組するように三成に進言しますが、最終的には、友達として、死を覚悟しながら西軍に入り三成を支えてます。
敦賀城は🏯敦賀港から100メートルぐらい入ったところにある、平城です。
浄土真宗大谷派の真願寺には、敦賀城の基礎石がのこっています、まえの川は敦賀城の堀だといわれています。
また近くにある、敦賀西小学校の正門横に、敦賀城の説明板があります。
この辺りまで城跡がありました。
グランドの下には、城館あとの礎石などがみつかってます。
アクセスはJR敦賀駅から3番のりば敦賀周遊バス🚌で15分の「お魚通り」下車し徒歩10分でいけます。
お魚通りには、海鮮丼や、蕎麦屋など数軒並んでいます。
うお吟さんは海鮮丼などで有名でGO to eatにも参加されていて、昼時ですと40分待ちぐらいです。
金ケ崎城跡を訪ねた後に立ち寄りました。
大谷吉継の居城。
城跡は市街地となり、僅かに遺構が残るのみ。
大谷吉継が居城の敦賀城です。
現在は真宗大谷派の神社になっており、一角に敦賀城跡の碑とともに礎石があるのみです。
一国一城令によって廃城となり当時の全容があまりよく分かっていないようです😢これから発掘や調査もすすむと思うので、報告が楽しみです。
目に見える遺構が少ない。
移築門が残っています。
2020年1月24日1700時(45分)移築中門のある来迎寺は駐車場が無いので、近くのコンビニさんで買い物をして停めさせて頂きました~ありがとうございました~m(_ _)m敦賀城の石碑と礎石がある真願寺には、御参拝者用の駐車場が2台?(縦長なので、マイクロバスも停まれるようにしているのでしょうか?)あります。
お隣は違う駐車場なので御注意ください。
大谷吉継公の慰霊碑もあったのですね…明日、再度めぐってみようかと思います。
また、水路があるのですが、名残でしょうか…?後は小学校前にある案内板を確認しようと思います。
別の方の口コミでは、敦賀城は市立敦賀病院の所にあったとか…元妻の縁の場所に、非常に近いのです!!また明日も敦賀城の痕跡を探そうと思います~∠(u003e_u003c)2020年1月25日0915時(45分)昨日に引き続き、敦賀城の探索を行いました~先ずは敦賀郷土博物館という所へ向かいました~八幡神社の境内にあり、駐車場もあります…が、冬季は休館との事…御参りして退散しました…次は敦賀西小学校前の説明石碑。
こちらは東側、校門の近くにあります。
道路が広いので、ハザードを出して駐車、ささっと写真を撮り次へ…大谷吉継公の慰霊碑のある永賞寺へ。
駐車場があります。
先ずは御参りしようと思い、本堂の扉をそろりと開けてみると、御坊さんがおられましたので、御参りしたいとお話させて頂きました。
外の九重の石塔が、大谷吉継公の慰霊碑との事でした。
御礼をし、御参りをしてから、外の慰霊碑へ…結構高いですね…説明板によれば一六〇九年に建立されたそうです。
背の高い九重の石塔は、非常に珍しいもののようで、敦賀市指定文化財となっております。
御冥福を御祈りしました…以上です!昨日に引き続き、90分の城めぐりでした~広い範囲で点在しているので、歩いて回ると、もっと時間が掛かるかと思います。
今は雪がありませんが、敦賀城をめぐられる方の御参考になればと思います~∠(u003e_u003c)
城跡としての遺構はなし。
礎石が1つと城跡碑のみ。
横に流れている小川はまさに城跡であったことの証左でございましょうぞ。
城跡の面影は無く、真願寺の境内に石碑があるのみです。
遺構は来迎寺にある移築門と、案内碑が敦賀西小学校にあります。
関ヶ原で散った大谷吉継の居城でしたが、残念ながら遺構はほとんどありません。
西蓮寺のあたりが三の丸跡にあたり標柱がありました。
真願寺と敦賀西小学校にも城跡を示す石碑があります。
真願寺から東へ流れる小川は当時の水濠跡とされています。
また、来迎寺には移築された敦賀城の城門があります。
歴史ブームの昨今、街起こしがされているかと思いきや、それほど大谷吉継を全面に押し出した観光誘致はしていませんでした。
それはそれで静かに街並み歩きが楽しめるのでありがたいですが。
天正十三年、五万七千石の城主 当時の敦賀は日本海側最大の湊、北国船による物質の流通の一大拠点。
この領主として配されたことが、才覚・能力を証明している。
大谷吉継の居城。
敦賀西小学校と真願寺に石碑や礎石が残っています。
夜と言うこともあり場所が移転されていて結局は分からずじまいでした❗リベンジします。
名前 |
敦賀城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.4 |
江戸初期の一国一城令で廃城となりました。
この結城町が全部の城跡のようです。
ここ真願寺に礎石が1つ残されています。
寺の北側東西に流れる川が堀の名残とか。
寺の門も補修はされてますが、けっこう古いものです。
もしかしたら城の遺構かもしれませんね。
跡地は敦賀県庁になったりもしましたが、いまは小学校と宅地になっています。