本丸周囲南側が石垣が見事でした。
🏯戦国の世:若狭国に出現した山城🏯政情の不安定だった室町時代後期、戦に備える築城はその地方を統治する者にとって必須のことだったのか。
若狭国の守護であった武田氏により築城されたのが後瀬山城である。
麓の愛宕神社から登り始めて凡そ20分、結構な急登の連続に閉口するが、標高168メートルの山頂に着く。
そこには江戸時代初期に鎮座されたという愛宕神社の祠がある。
徳川家康により天下が統一され、小浜には新たな小浜城が築かれた。
泰平の世に山城の使命も終わったということなのだろうか。
ヤマビルがいないタイミングが良ければ語り部のおじさんの話が聞ける近くの発心寺には武田元光公の墓所がある保存状態が良く地元住民のに愛されていると感じた。
愛宕神社駐車場から登りました。
登り口より20分位で連郭式の曲輪群が右手に見れて切岸で区画されて、左手は急斜面です。
主要部は堀切も見られます。
若狭守護武田氏の城で本丸から若狭湾を一望、小浜駅も真下に見れます。
途中から曲輪や堀切を見ながら登るのでそれまでは只の登山です。
当時からかは分かりませんが石垣は良く残っています。
石垣や曲輪が良く残る‼️若狭武田氏❗(^∇^)麓に菩提寺がある❗
本丸周囲南側が石垣が見事でした。
本丸と二の丸の間に堀切ありその先に二重竪堀が有りました。
二の丸より西は階段がなく坂道でした。
二の丸から西の尾根沿いを下り曲輪を数段過ぎると、比較的広く土塁堀切のある曲輪に出ます。
周囲に畝堀もあり、たどり着くのは苦労しますが見所ではあります。
途中の岩?石の階段緑のいっぱいのコケで滑りやすくなっています避けられないので気をつけましょう!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ!!下りでツルッとビックリヽ(ヽ゚ロ゚)ヒイィィィ!
国指定史跡後瀬山城跡若狭武田氏の城が織豊系城郭になり。
その後江戸時代に入ると廃城になり麓に小浜城が築城される。
城はその時代の象徴というのがよくわかる一つの例。
ここは400年前の時代で時を止めているようで織豊時代を感じる場所です。
麓から約20分で本丸です、ここには石垣があります。
また本丸と堀切隔てて二の丸があります。
本丸は周囲を石垣で巡らせていますが。
最上段は確認できますが、おそらく二段〜三段目の石垣もあったように感じます。
その殆どは崩落して現に裏込石(栗石)などが散乱しているのが確認できます。
二の丸や本丸からの眺望は殆どありません。
若狭国守護武田氏の居城です。
観光マップやGoogleマップだと場所u0026行き方が分かりにくいですが、発心寺の石碑の奥、国道の下をくぐるトンネルの手前に愛宕神社の鳥居があり、そこから登れます。
本丸まで歩いて20分ちょっとです。
駐車場はありません(別ルートなら有るかも)。
石垣は本丸にだけひっそりと残って居ます。
少しですが、往時を偲べます。
写真だと分かりにくいですが、竪堀と堀切と土橋が状態良く残っています。
特に登ってすぐの竪堀は見事です。
本丸からの「眺めが良くない」「何も見えない」という投稿もありますが、私が登った時は本丸からは山側、二ノ丸からは海側の景色が、木々の間から見えました。
どちらも綺麗な眺めでした。
こちらもよく投稿がありますが、途中、舗装されていない箇所もあり、下りは転倒注意です。
本丸の標高は168M ( 比高は160M )有ります。
麓の愛宕神社から、しばらく急な斜面が続きますが、遊歩道が整備されているおかげで本丸まで登り易く迷う心配もありません。
遊歩道の半ば辺りから斜面に小さな郭が連なり、本丸の手前には堀切や土橋などの防御施設、そして本丸には石垣も残っています。
主郭西側の尾根を降りて行くと豪快な4条の竪堀が有り、見つけた時には思わず感嘆の声をあげました。
段郭が連なり、決して降り易いわけではありませんが、必見の遺構と思います。
神社の参道として整備されているので急坂ではありますが登りやすいです。
ただし、本丸から先登山口方向は本格的な登山道なので軽装では行かない方が良いでしょう。
割と登りやすい道だったので拝見して来ました。
グローブの上からでも刺して来て刺されると腫れて痒くなるブヨのような虫が飛んで来て鬱陶しかったです。
城跡裏側から神明神社まで続くコースは鬱蒼としてて不気味だったので断念しました。
まさに、城跡です!
武田元光、信豊、義統、元明が居城とした城跡です。
麓の神社に駐車場があります。
国の指定史跡に指定されています。
武田式の連続郭。
主郭には石垣もあり見所たくさん。
しかしメインどころ以外は急峻のため探索はリスクあり。
京極高次が徳川家康より若狭一国を拝領した時、初めに入った城。
名前 |
後瀬山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
若狭武田氏の居城急な坂を30分以上登ると主郭に到着主郭周辺に石垣が多く残るが廃城後の神社整備に伴い築かれたものが多いとか。