名前 |
大和稲荷神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
此の稲荷神社は火の神、五穀の神、商売の神であるともに勝負の神であるというので大正13年(1924)大和稲荷講(神仏信仰相互扶助のための組織)が結成されて運営されています。
一説には大正8年(1919)7月5日から5日連続の大雨により地吹町の芦田川堤防が決壊し多治米や川口か浸水し、その時稲荷神社の祠(ほこら)が洲崎某の家の木に漂着。
当初は個人で祀っていましたがその後地域で祀るようになったとも伝えられています。
大和稲荷神社の、大和の冠名については不祥川口東学区まちづくり推進委員会の小冊子より抜粋。