わかりにくい場所にあります。
読みは「みうたじょう」延長3(925年)に、この地に下向した藤原光重(大津の湯舟矢護神社の鏡にある菊田美作守藤原光重?)がこの地へ下向してここに屋敷(城)を築いたと伝わる。
戦国時代は御宇田氏が城主、ここに城はなくこの北東にある鳴滝城(いこいの森公園の西側、軍人墓地のあたり)こそが「御宇田城」だったとも。
現在は、双子天神こと早鷹天神と田楽天神の廟のみ残るが、2016の熊本地震で破損している。
さて、この廟だが、田んぼの奥、民家の先にあります。
駐車場もありません。
訪問の際は別の場所にクルマを停め、民家の方に断りをいれましょう。
名前 |
御宇田城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
わかりにくい場所にあります。
目印は青いネットをしてあるお家の横です。
そこまでは行けませんので少し離れてみたら見えると思いますよ👍