木曾義仲と松尾芭蕉の墓が並んである。
■義仲寺(ぎちゅうじ)滋賀県大津市にある天台宗系単立の寺院。
山号は朝日山。
本尊は聖観音菩薩。
●小さな御寺さん。
開山は巴御前。
義仲寺境内全域が1967年(昭和42年)に国の史跡に指定されている。
大人拝観料¥300。
寺門の前、左手に標石柱が3基、「朝日将軍木曽義仲公御墓」「芭蕉翁墓所」等が建つ、右手に「巴地蔵堂」があり、境内には「巴塚」石碑が祀られてある。
本堂「朝日堂」には、阿弥陀如来が変化したお姿の聖観音菩薩 (しょうかんのんぼさつ) が祀られてある。
境内中ほどには「木曽義仲の墓」と「松尾芭蕉の墓」が近くに並び、ほぼ西向きに配されている。
多数の句碑が観える。
義仲寺の境内南奥には「無名庵」「義仲八幡社」と「翁堂」がある。
翁堂に芭蕉翁坐像が祀られあり、其の天井には伊藤若冲作の「花卉図」天井図が遺る。
境内南塀の外向こうは幼稚園がある。
平日の日中は園児の賑やかな声が境内にも聞こえて来る。
丸子で挙兵した義仲の最期、巴御前と共に眠る地は静かです。
こじんまりした素朴さが、芭蕉の想いにも繋がり、感慨深い場所です。
お勧めです。
貸駐車場が警察署横にあります。
俳人松尾芭蕉が最も好んだ人間は?それは木曽義仲(きそよしなか)である!義仲といえば平家打倒を誰よりも早く行動に移して、京に攻め登った人物!その後、後白河法皇に疎まれ、頼朝らの命により(範頼、義経)からの裏切り攻撃により義仲は討ち死にしている。
享年31歳! また彼の側室、巴御前(ともえごぜん)は彼の墓所(義仲寺)に何度も足を運び弔い参っていたので巴寺ともいわれている。
そんな義仲の無念さや、心意気に打たれたのか、貞享年間(1684〜8年)義仲寺(ぎちゅうじ)の補修後、芭蕉はしきりにここを訪れている。
その後、なんと弟子に義仲寺の中に庵(いおり)までも作って貰い5年間もここに移り住むのである。
また、ここを拠点に「奥の細道」以後、関西圏を廻り俳句を作っていたと言われている。
芭蕉は元禄7年(1694年)大阪で亡くなるが、自らの遺言により、その日の夜には船で大阪から亡骸を運び出し、ここ琵琶湖畔の義仲の真横に墓を並べている⁉
松尾芭蕉ファンにはたまらないですね。
そして旬な鎌倉殿マターでもある義仲ですからね。
伊藤若冲の天井絵もコピーとはいえ雰囲気ありますよ。
お寺の方も親切でイイスポットです。
大津市馬場一丁目にあって、旧東海道道にも沿った場所にありました!松尾芭蕉のお墓もありますお庭は広くはありませんが、緑も多く独特の雰囲気があるお寺でした。
狭くて何があるのでも無いけど良いですよ。
木曽義仲と松尾芭蕉が好みなら、行っておかないと。
園内歩くとき絶滅危惧種にかる亀がそこかしこを歩いているので踏んだりしないようにご注意❗
拝観料300円。
トイレあり。
綺麗に整備されています。
300円 12c末に、巴御前が、夫の木曽義仲を弔うために建立しました。
境内の無名庵で、松尾芭蕉が奥の細道の旅を終え、1689年の冬を過ごしました。
俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび滞在した。
無名庵で句会も盛んに行われた。
大坂で亡くなった芭蕉だが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志により元禄7年(1694年)10月、義仲墓の横に葬られた。
又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」が有名。
本堂には、若冲の様々な花鳥を描いた天井画もあります。
滋賀県大津市に転勤になった時、この辺りを探索して、マンションを探していました!その時この義仲寺があり、興味が湧き中に入りました(^^)静かなとても落ち着いた お寺で池があり侘び寂びのある精舎な雰囲気でした。
あまり長居はしなかったけど印象的なお寺でした(^_-)結構落ち着いた良いお寺だと思います(*^^*)
膳所駅から徒歩10分。
門前は細道ながら車通りが多く注意。
門を入って右側に拝観受付。
境内は松尾芭蕉にちなむ歌碑があります。
山吹御前、巴御前の供養塔と木曽義仲の墓石が安置されています。
お寺から北に徒歩10分ほどで琵琶湖に着きます。
比叡山がよく見えます。
木曾義仲と松尾芭蕉の墓が並んである。
Wikipediaによると、木曾義仲の死後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。
先日、大阪にある松尾芭蕉の終焉の地を訪れた後、この寺に来たいと思っていました。
芭蕉は生前この寺と湖南のひとびとを愛し、たびたび此処に滞在し、無名庵で句会も盛んに行われたとの事。
旅をすると度々、西行の歌碑と出会う。
そしてそこは松尾芭蕉の歌碑とも重なる。
昨日も崇徳天皇白峯陵で西行に出逢えた。
そこで西行は涙したという。
そんな2人の終焉の地とお墓をお参りしたことになる。
芭蕉が使っていた杖が展示されていたのは嬉しかった。
小さい寺に木曽義仲と松尾芭蕉というビッグネームが二人並んでおります。
平成30年4月に拝観しました。
4度目ぐらいでしょうか?いつも膳所駅から歩いて行きます。
木曽義仲と松尾芭蕉の墓があり、境内が国の史跡に指定されています。
松尾芭蕉のお墓がここにあるなんて、知らないひとも多いんじゃないか。
それも木曽義仲の隣とは。
司馬遼太郎さんの「街道をゆく 近江散歩」にて取り上げられた芭蕉の門人、菅沼曲翠の小さなお墓もひっそりと境内の隅にあります。
曲翠の伯父の持ち家が芭蕉が近江滞在中に暮らした幻住庵であるのは有名。
曲翠の武士としての筋を通した最期については「街道をゆく」をぜひご覧ください。
木曽義仲と巴御前、松尾芭蕉のお墓があります。
また、芭蕉と門下にちなむ句碑も多く、ファンは必見のお寺でしょう。
境内は手入れがいきとどき、繁華な街中とは思えない静謐な環境のなか、素敵な時間をすごせます。
翁堂はまるで、芭蕉翁が旅姿で佇んでいるようにも見えます。
また、巴御前の御朱印もありました。
前の道は狭い割りに交通量が多く、危険。
駅から近いので、立ち寄りの際は電車(JR又は京阪)がベスト。
衣冠束帯姿で矢を持つ義仲の木像が安置されている。
木曾義仲が、元暦元年(1184)1月、近江の粟津で敗死し、この地に葬られた。
由緒ある史跡である。
松尾芭蕉のお墓があります。
拝観は有料です。
芭蕉は大津の風景をすごく気に入っていたようです。
今はごちゃごちゃしちゃってるけど、昔の大津は美しかったのかなと想像します。
境内に句碑は19基もあるようだ(代表的なもの)「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」(松尾芭蕉)「木曽殿と背中あはせの寒さかな」(又玄)
こじんまりとしたお寺だけれど、中は整っていて、綺麗。
見る価値あり。
木曽義仲と、彼の大ファンだった松尾芭蕉のお墓があります。
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」
大津市の〔義仲寺〕は、自身の希望により芭蕉が亡くなった際、葬られた寺。
そのため芭蕉に関する碑がたくさんある。
① 道標 右義仲寺 はせを翁の墳是より2丁 膳所駅から北へ向かう道(ときめき坂)の分岐にある。
② 芭蕉の墓 その小さなことに驚く③ 又玄句碑 木曾殿と背中合せの寒さかな 有名な句④ 芭蕉句碑 古池や蛙飛込む水の音 ⑤ 芭蕉句碑 三日月の影を延すな蕎麦の花 (存疑句) ⑥ 翁堂と行状碑 ⑦ 芭蕉句碑 旅に病て夢は枯野をかけ廻る 近くの〔ときめき坂児童公園〕にも芭蕉句碑があり、 草の戸や日暮れてくれし菊の酒。
名前 |
義仲寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
077-523-2811 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
木曽義仲公は、平安時代末期の源平合戦にて活躍した武士です。
俱利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破るなどの快挙を挙げましたが、最期は源頼朝の命を受けた源義経らによって、粟津(あわづ)の地で討ち死にしてしまいます。
その後、巴御前がこの地にて供養し、現在も義仲公のお墓を見ることができます。
諸行無常の儚さを感じることができる名スポットです。