2020年夏の豪雨の影響でしょう。
熊襲征伐に九州を訪れた景行天皇はこの彦嶽に行宮(カリミヤorアングウ)を作ったが、それに抵抗する玉名の土蜘蛛津頬(ツヅラ 日向熊津彦の部下)が東の高天山に集まり襲撃をかけた。
景行天皇が彦嶽にて諸神を奉ると彦嶽山頂より高天山に靈感があり山が大きく震動した(これにより名を震岳と改めた)とされる。
敗走した津頬は討たれた。
玉名大神宮にもその記録が残っている。
景行天皇は彦嶽に上宮・中宮・下宮の三宮を造営したとされる。
その後荒廃したようだが菊池則隆により再興、再度荒廃し菊池時隆により再興、隈部氏により下津宮再興の記録が残る。
元亀年間までは信仰も篤かったが、龍造寺隆信が赤星氏を攻めた際に焼失し戦乱の影響により再興することなく江戸時代を迎えた。
元禄9年(1696年)に再興し現在に至るようだ。
祭神は上宮は熊野宮 合殿は住吉神・春日 中宮は月読尊・彦火々出見尊 下宮は伊勢・スサノオ 合殿は阿蘇明神 を祭っており農業神の性格が強い。
また筑後風土記に出る荒弦山(アラツルヤマ)はこの彦嶽を指すとされ、三池にも名が知られていた山であったようだ。
山道の中腹にあります。
中宮祭神月夜見神(つきよみの神)彦火火出見神(ひこほほでみの神)
名前 |
彦嶽宮 中宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.7 |
2020年夏の豪雨の影響でしょう。
落石や、荒れ果てた道を登って行くこと15分、やっと中宮にたどり着きました。
冒険気分が味わえました。