名前 |
伝来寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
【九州最古級?の枯山水庭園】桜のシーズン終わり頃に訪れました、庭園内に桜吹雪が舞って美しい情景を堪能できました。
池に落ちた花弁が花筏を作り、苔の上に落ちた花弁は薄桃色の花柄になり、この季節ならではの景色となりました。
寒い時期は温かいお茶の接待があります。
想像ですが、秋には紅葉の斜面を背景にお堂が映えることでしょう。
苔生した石が見事な庭園で、苔の緑と紅葉のコントラスもさぞ美しいでしょうね。
伝来寺庭園は、寺の表門の入口から参道に沿って広がる約500平方メートルの庭園と、本堂の裏側(西背面)にあたる約350平方メートルの庭園と二つからなる。
本堂脇を通り抜けると本堂裏の庭園に続きます、入口近くには池と大きな木があります。
山の斜面を登るように紅葉を中心に多くの木が植えられています。
作庭当初は池を中心に、山腹に石組みを設けて枯滝を表すとともに、池中に離れ石を置いて荒磯を表したとされる。
数度の改修を経ており、築造当時の姿がどの程度伝えられているかは定かでないが、九州最古の枯山水的庭園ともされており、中世における地方での庭園文化を知る上で貴重な史跡である。
(2013/03/31)※現地案内板から転載【伝来寺と庭園】伝来寺は延元三年(1338)長谷部信雄(はせべのぶつら)が大智(だいち)禅師を迎えて開基したものである。
初め曹洞宗に属し紫雲山林泉と号し栃原村にあったがその後山城守重光が住職となり現在地に寺を移した。
寛永二十一年(1643)浄土真宗に改め慈雲山伝来寺と号す。
文政五年(1822)失火によって焼失し嘉永になり完成したのが現在の本堂である。
庭園は後白河法皇の第三皇子以仁王(もちひとおう)の近侍長谷部信連が王の遺児豊津宮を守りこの地に住んでいた。
建久四年(1194)源頼朝は冨士野に巻狩を催すにあたり故実を習うため梶原景季、仁田四郎を阿蘇大宮司に遣わした。
その帰途この地に信連を訪ね王子を慰めるため築いたのが現在の庭園である。
庭園は伝来寺建立以前築造され数度の堂舎改変の都度修造され今日の姿になったが雄揮な石組みや地形の素朴さに捨てがたい味があり数少ない中世の地方庭園文化を知る資料として価値が高く昭和四十五年(1970)に大分県指定名勝に指定された。
※一部修正を加えました(2019/01/04)中津江村。