境外に4社あり、そのうち8社が式内社です。
孫若御子神社(摂社) / / .
御祭神は天火明命様で、天忍穂耳尊の子供。
太陽神とされます。
尾張氏の始祖だそうです。
神様巡りマニアしか来ないんじゃないか?な場所 森の薫りに包まれて鳥の囀りが心地よい場所です。
社殿手前右側にわざわざ凹んだ箇所があります。
保護樹ムクノキが立派ですね。
ふと思ったんですが…この熱田神宮ってかなり昔から存在するんですが…この樹木達の樹齢ってどれくらいなのでしょうか?現代で見て神聖だなぁ?と感じても…案外熱田神宮ナイススマイルでは新しめなのか?とか単純な疑問がわきました。
こちらの社殿前にのスペースも午前中陽射しが綺麗に入りますね。
孫若御子(ひこわかみこ)とよみます。
孫若御子神社ひこわかみこじんじゃ延喜式内社 名神大社御祭神天火明命あめのほあかりのみこと(天忍穂耳尊の御子神)海蔵門とは正門南門のことらしく元の鎮座地は正門の西側。
尾張氏の始祖ということなのですが天火明命u003d饒速日命とする考えがあり、熱田神宮の創建に関わり宝剣 草薙剣を日本武尊から預かり持っていた妃の宮簀媛の先祖とされます。
遷座こそしてますが式内社で名神大社というのに熱田七社では有りません。
案内板より祭神の天火明命(あめのほあかりのみこと)は尾張氏の始祖であり、天照国照火明命、天照玉命とも称される。
ほあかり とは、ほが赤くなるという意味で、稲穂への尊称といわれている。
訪れた夕方、参道からやや離れた森の中に位置し、人気はほとんどなく静かに鎮座されていた。
熱田神宮はたくさんの末社があり、何度訪れても新たな発見がある。
海蔵門内の西側に鎮座していたのをこの地に遷座との説明札。
尾張造時代の絵図には海蔵門そばに何かを祀った祠も社も見られないが、割と近代になってから急に拝まれ出したものなのか。
謎。
祭神は真清田神社と同じ天火明命。
こちらの神の十一世孫が上知我麻神社のオトヨノミコト。
今回、御祭神はたまたま日割御子神社に移動中。
日割御子神社のアマノオシホミミとなんの関係があるのかな?と思ったが親子だった。
なるほど。
尾張氏の祖、天火明、ニギハヤヒとも呼ばれる大神様です、私は天稚彦と思います❗️熱田様参拝時にはもちろん一番最初にお参りします❗️私にとってはもっとも高き尊い大神様です❗️ハイ❗️
素通りされる方も多いですが、有名な神様が祀られています。
個人的にはゆっくり参拝できるのでありがたいですが。
熱田神宮の中には覚えきれないほどの神社がありますがここもそのひとつ。
でも時間をかければ全部まわれるでしょう。
名前 |
孫若御子神社(摂社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-671-4151 |
住所 |
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評価 |
4.4 |
熱田の摂社(その神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社)は境内に8社、境外に4社あり、そのうち8社が式内社です。
式内社とは、「延喜式神名帳」に記載された神社を指します。
「延喜式神名帳」とは、西暦927年にまとめられた「延喜式」の9巻10巻のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧が載っています。
つまり、西暦927年当時に、国や朝廷から幣物を支給されていた由緒ある神社のことです。
さらに式内社2861社の中でも、当時から霊験が著しいとされた226社は「名神大」と呼ばれます。
その名神社のひとつに孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)があります。
熱田の境内にある小さな社で、これが延喜式の当時は広大な社を構えていたとは思えません。
祭神は尾張氏の祖である天火明命(アマノホアカリ)。
この孫若御子神社、熱田神宮の摂社の中でも由緒ある神社とされる「熱田七社」にはなぜか含まれません。
熱田七社は、熱田神宮、八剱宮、高座結御子神社、日割御子神社、氷上姉子神社、上知我麻神社、下知我麻神社の7社です。
熱田七社は尾張国内にいくつか勧請されていますが、孫若御子神社だけは1回も勧請されていません。
熱田社が出来るよりも前に存在していたと「熱田大神宮尊名祭神記」にはありますが、祭神や元の場所などは一切不明。
平安時代末に編纂されたといわれる「尾張国国内神名帳」には社の社格が記載されていますが、熱田神宮は「正一位上」に対し、熱田七社の中で一番新しい708年に建てられた「八剣宮」も「正一位上」に。
高座明神と日割明神が「正二位上」なのに対し、孫若天神は「正四位下」とかなり差を付けられています。
式内社だが名神社ではない上知我麻名神、下知我麻神社でさえ「正二位上」であり、名神社でありながら熱田摂社の中で社格が著しく低い。
この神社は高座結御子神社、日割御子神社と共に、熱田の「御子神」とされているが、元は熱田社とは関係ない神社であったのではないでしょうか。
妄想するに、元は尾張氏を祭った熱田神宮とその摂社とは関係のない社で、恐らく尾張氏が熱田を支配領域に治める前の古い土着の神だったのではないでしょうか。
熱田社が創建された後に熱田社の勢力に飲み込まれて熱田の御子神を祀るようになったものの、元は尾張氏とは関係のない神が祀られていたので熱田社の中でも社格を故意に落とされたのではないであしょうか。
天火明命(アマノホアカリ)が祀られたのは、熱田神宮の祭神が天照大神(現在、熱田神宮の祭神、熱田大神と同一とされている)に変わった江戸時代初期からでしょう。
(江戸時代以前の祭神はヤマトタケル)。
天照大神の孫が天火明命にあたるので、孫若御子神という神社名前からそうしたのでしょうね。
個人的には、熱田社こそ尾張氏の祖である天火明命が元々は祀られていたと考えているので、孫若御子神には熱田社に飲み込まれたの後に、天明火命の孫にあたる天叢雲命(アマノムラクモ)、もしくはその子である尾張開拓の祖と言われる天忍人命(アマノオシヒ)が祀られていたと妄想します。