達磨窯は瓦を焼き上げる専用の窯です。
市指定有形民族文化財。
大正10年から昭和56年まで操業していた村瀬製瓦所が残した、このエリアで現存する唯一の平窯。
正面から見た造形が達磨大師を彷彿とさせるため達磨窯と呼ばれていたそうです。
崩れかけていた窯を地域の有志の方が修復し、市の文化財として公開できる状態にしたと聞きました。
個人宅の敷地内にあり、道路の幅が狭いため駐車には注意が必要。
近所の方にお聞きしたところ黒い建物の北側、砂利のスペースに駐めても良いとのことです。
黒い建物もなかなかに昭和の趣があります。
寿町から緑が丘にかけて多くの瓦製造所があったと看板に記されています。
三州瓦といえば高浜のイメージですが、このあたりは高浜が属していた旧碧海郡と挙母が属していた旧加茂郡の境目に近いです。
自動車産業が栄える前の挙母の産業といえば農業と養蚕ぐらいしか習った覚えがなかったのでちょっと意外でした。
昭和30年代に緑が丘地区で働いていた人に聞くと確かに当時は瓦製造所が会社の周りにあり、残業時間になると夜に焼成を始める窯から風向きにより煙が入ってきて大変だったと語ってくれました。
大正から昭和50年代にかけての豊田市の一面を知ることができました。
名前 |
寿町の達磨窯 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
達磨窯は瓦を焼き上げる専用の窯です。
現存するもので大正時代にさかのぼる窯は全国的にも珍しく、窯業史上貴重な存在です。