しかし随所に看板があるので迷いません。
鎌倉時代1240年、有漢の地頭の秋葉三郎重信が築城とある。
有漢川は、この少し上流で高梁川に合流する。
北から下流に進出してきたものなのか。
小松山城より高度は高いが、井戸があり、後の時代にできたのであろうが、少しくだった位置に人工池がある。
水利は、確保されていたらしい。
よくぞ要害としてこの地を選んだものだ。
何もない所です。
想像力が必要です😉
備中松山城は近世と中世の遺構が残っている山城です。
天守から2〜30分ほど離れているので、訪れる人は多くありません。
ここからさらに奥に入ると天空の山城の写真でよくみる展望台まで歩くことができます。
大松山城跡、規模が広い礎石あり、見所ありぜひ回って下さい。
国宝備中松山城の奥、鎌倉期の山城趾。
未発見のものが大分有りそうです。
地味な所ですが、臥牛山の古城巡りは、健脚な歴史ロマンを感じたい方向き。
高梁の町から上がるのは1日がかりだが、シャトルを利用すれば大分短縮。
備中松山城天守閣から更に奥にいくと有ります。
結構広い場所。
備中松山城のさらに奥、しかし随所に看板があるので迷いません。
郭や堀切などの遺構がよく残っている。
現在一般に「備中松山城」と呼ばれる近世城郭は小松山城に対して、臥牛山主峰で標高470mの大松山の山頂にある中世の山城。
鎌倉時代に秋庭氏が築城し、戦国時代に三村家親が松山城主庄高資を破り、松山城を居城としし、拡張整備を行った。
三村氏は織田氏と結び毛利氏に対抗したが、天正3年、小早川隆景に攻められ落城した。
大松山城へは、小松山城の北の小松山城水手門から坂道を下り、木橋を渡って山道を登ってく。
小松山城の現存天守が有名だが、こちらは備中松山城の創始1240年鎌倉時代に築かれた本丸、二の丸、三の丸、数カ所の曲輪、石積みの井戸などの遺構をみることができる。
井戸跡、曲輪が残っています。
名前 |
大松山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0866-21-0217 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
前山、小松山、天神山、大松山の4つの峰からなる臥牛山の最北部にある中世山城跡です小松山の天守閣や石垣がある近世城郭に比べてほとんど人が来ませんので散策がゆっくりと出来ます井戸、曲輪、土塁、切岸、堀切等の山城遺構が残っています。