実際にあった場所はここから100メートルほど離れて...
立派な碑が立っていますが、実際にあった場所はここから100メートルほど離れているそうです。
碑と説明板があり、説明板には下のように書かれてました。
宝仙寺三重塔は、この地から南東約100mのところに建っていました。
旧地名の塔山は、これにちなんだものです。
この塔は、寛永十三年(1636)に建立され、高さ24m、屋根は檜皮葺きで、江戸唯一の三重塔でしたが、昭和二十年五月の空襲で焼失しました。
古写真の実測図から、池上本門寺、上野寛永寺の五重塔とならんで、江戸時代初期の典型的な建造物であったことがわかります。
古記録によれば、中野村の飯塚惣兵衛夫妻が総主となって建立したとあり、かつては夫妻の木造が塔内に安置されていました。
当時、寺院の建物は将軍や大名クラスが総主となるのが通常ですので地元の農民が立てたという点でも、きわめて特筆されるものです。
区立第十中学校の敷地内に金網で厳重に保護されて、宝仙寺三重搭跡の石碑がある。
かつては、ここは宝仙寺の境内だり、三重搭が立っていたが、1945年の山の手大空襲で焼失し、1992年に現在の地に再建されたという。
すぐ北側の搭の山小学校や搭の山地域といわれているのは、これにちなんだものという。
名前 |
宝仙寺三重塔跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3371-7101 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/attractions/nintei/290/ |
評価 |
3.3 |
現在は、山手通りを跨いだところにある宝仙寺の三重塔の跡だそうです。
何か当時を偲ばせる遺構はありません。
フェンスごしに石碑を見ることができるくらいです。