背の高い高い御神木のクスノキが、遠くからも見えます...
住宅街の真ん中ですが、背の高い高い御神木のクスノキが、遠くからも見えます。
読みは「おうぎ」神社です。
なんと、九州で一番古いえびす様を祀る神社とのこと。
その時間は1300年。
菅原道真公も訪れていたのかもしれませんね。
ご祭神は、武甕槌命、事代主命の二柱で大城大明神として祀りました。
神武天皇が四王寺山(王城山、大野山)に城を築いた際、この2神を祀ったといわれています。
665年都府楼を建てた際、筑前國衙庄(現在の大宰府通古賀)に遷し「大城大明神」として祀りました。
1578年には高橋紹雲を攻める秋月氏の兵火にあって社殿を焼失します。
1587年に小早川隆景の寄進により再興されます。
神社の通り沿いに明治100年記念の石碑がありますが、その下に礎石がみられます。
これは國衙跡の礎石とおもわれます。
王城神社由来記王城神社(おうぎじんじゃ)は,大国主命(おおくにぬしのみこと)の子でえびす様としてあがめ親しまれている事代主命(ことしろぬしのみこと)をお祀りしています。
古来,えびす様は,市(いち)の売買を守る神として商家の尊崇が篤く,また農・漁業の守護神として崇敬されてきました。
王城神社の始まりは,天智天皇(てんちてんのう)四年(西暦六六五年),都府楼が建てられたとき,それまで武甕槌命(たけみかずちのみこと)と相殿で四王寺山に祀られていた事代主命を筑前国衙庄(こくがのしょう)(現在の通古賀五丁目,旧小字扇屋敷)にお移ししたことに由来し,また,王城神社の名称は,王城山(四王寺山)の神として王城大明神と崇め奉られていたことによります(船賀法印『王城神社縁起』)。
その後延喜元(九〇一)年,都府楼南館(榎寺)に謫居(たっきょ)の身となった菅原道真(すがわらみちざね)公をはじめとして,太宰府の盛衰を反映しながらも時の官人,武人たちの参詣を受けてきました。
しかし,神社の長い歴史の中では,戦火の余波をこうむることもしばしばで,たとえば天正六〔一五七八)年には高橋紹運(たかはししょううん)を攻めた秋月勢の兵火にかかって社殿が焼失しました。
このときは領主小早川隆景(こばやかわたかかげ)の寄進をうけましたが,宮田の寄進を始めとして氏子村民により祭礼や神社の運営が支えられてきました。
近年では,王城神社は明治五(一八七二)年に旧水城村の村社に定められました。
現在も毎月一日に旧水城地区の各神社代表を交えて月次祭が,また春,夏,秋にはおこもりや夏祭り,宮相撲が行われ,九州で最も古いえびす様と尊称されながら現代を生き続けています。
平成二十三(二〇一一)年一〇月吉日王城神社氏子会境内掲示版ーーーーーーーーーーーーーーーー王城(おうぎ)神社由緒一,御祭神事代主の尊(ゑびす大神)当社は太宰の護り神として大野山(王城(おおぎ)山又四王寺(しおうじ)山とも云う)に祀られていましたが今より千三百年前この通古賀(とうこが)の扇屋敷(おおぎやしき)に遷(うつ)り御鎮座増ましました九州では一番古いえびず様であります。
当時は通古賀は「コクガ」として栄え武蔵長者(むさしちょうじゃ),扇(おおぎ)長者をはじめ官民の尊崇篤く祭事も盛大に行われていたことが昔の文書に詳しく記されています。
ご承知の通りえびすさまは福徳円満な神として人々の信仰あつく商売繁盛,五穀豊穣,漁業繁栄其他もろくの御利益が顕著あらせられます皆様のご信仰により益々御神徳が発揚せらるゝ様御由緒に書き添える次㐧であります月次祭(つきなみさい)毎月一日大 祭十二月一日拝殿掲示由緒ーーーーーーーーーーーーーーーー村社 王城神社 筑紫郡水城村大字通古賀字扇屋敷祭 神 事代主命由 緒 不詳,明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 十月十七日神饌幣帛料供進指定 大正十三年二月十六日主なる建造物 本殿,渡殿,拝殿,社務所,神饌所境内坪数 二百四十坪氏子区域及戸数 九十六戸境内神社 皇大神宮福岡県神社誌 中巻ーーーーーーーーーーーーーーーー鳥居:「奉寄進氏子中」「王城神社」「明治十年十一月𠮷日」狛犬:「明治三十三年 庚子一月元旦」「福岡鍛冶町 石工 河内勘次郎」
神社のある通古賀地区でなされる宮座では、毎年十一月の第一または第二日曜日に、真魚箸神事という古式ゆかしい神事が行われるそうです。
大城(おうぎ)神社は大国主命(おおくにぬしのみこと)の子でえびす様として親しまれています事代主命(ことしろぬしのみこと)をお祀りしている神社です。
太宰府市、筑紫野市にたくさんあるえびす様の中心といってもいいかもしれません。
えびす様は市(いち)の売買を守る神様として商家の尊崇を戴き、農業・漁業の守護神ともいわれときたそうです。
四王寺山は大城山ともいわれ、665年に現在地に移される前は、大城大明神として四王寺山に祀られていたそうです。
今でも、九州でもっとも古いえびす様として、尊称されています。
王城神社(おうぎじんじゃ)は、福岡県太宰府市にある神社。
末社に早馬(はゆま)神社がある。
拝殿所在地福岡県太宰府市通古賀五丁目8-40。
寛政2年(1790年)に船賀法印が編纂した『王城神社縁起』(太宰府天満宮蔵)によれば、神武天皇が四王寺山(王城山、大野山)に城を築いた際、山中に武甕槌命と事代主命を祀ったことに由来し、天智天皇4年(665年)都府楼を建てた際、筑前国衙庄(現在の太宰府市通古賀)に遷され、「大城大明神」として祀られたとされる。
天正6年(1578年)、高橋紹運を攻める秋月氏の兵火に遭って社殿を焼失したが、同15年(1587年)に小早川隆景の寄進を受けて再興。
しかし、慶長5年(1601年)に再度兵火に遭い、衰微。
安楽寺(現・太宰府天満宮)から神職を招き、形ばかりの祭礼を催すことを余儀なくされる。
宝永3年(1706年)になって、村中で募って神田を寄附し、当役を定めて順番に祭りを行うようになったという。
太宰府市内、我が家の近所にあります。
いつも地域を見守って頂いていることに感謝。
えのきでらと呼んでました。
ブラタモリでも紹介。
明治5年(1872年)水城村の村社に定められました。
王城神社(おうぎじんじゃ)は、福岡県太宰府市にある神社。
祭神は事代主神(ことしろぬしのみこと)。
末社に早馬(はゆま)神社があります。
王城神社縁起(江戸時代寛政年間)によれば、神武天皇が四王寺山(大野山)に城を築いた際に、山中に武甕槌命(みかづちのみこと)と事代主命をまつったことに由来するとされます。
その後665年、大野城築城に際し、現在の太宰府市通古賀の地に遷されたとされています。
名前 |
通古賀王城神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
大きな楠木のある神社お祭りもやってるみたいです。
この辺の土地を見守ってるようです。
詳しくは写真参照。