城跡は徳島駅の目の前にあるので驚いた。
地元の方々がの散歩や運動に老若男女多くの人が利用されています。
私も夕方5時過ぎ1時間散歩しました。
公園内にSL🚂を展示しています。
日本100名城の一つ。
主要な建築物は残存していませんが公園内の散歩を楽しめます。
100名城のスタンプは、徳島城博物館に設置されています。
規模はかなり大きく、徳島中央公園を含め全てを見てまわるには相当時間が掛かります。
登城は整備された階段がありますので、比較的楽に頂上の本丸に辿り着けます。
石垣も当時の立派なものが現存しており、見所も多いです。
登城しはじめるとトイレほか自販機もないので注意してください。
登って降りるだけなら所要時間は、30~40分程度だと思います。
駐車場は有料(乗用車310円/日)ですが、徳島中央公園 東側駐車場が近くて便利です。
徳島駅から徒歩5分ちょいで到着できる自然豊かな公園!ベンチが多くこれからのポカポカ陽気の日は、横になってうたた寝してしまう。
日本庭園は有料だがゆったりできるオススメスポット!
蜂須賀25万7千石の居城で徳島市のシンボルの一つでしょう。
ここも明治の廃城令でほとんどの建物が取り壊されたり、撤去されたりしたようですが、残っていれば素敵な遺産になっていたことと思います。
ただ、西洋に追いつけ追い越せの時代においては仕方ない一面もあったのでしょうね。
当時の日本にとっては歴史の重さより、西洋の先進性が良く映ったはずです。
案外、西洋人の方が歴史の値打ちを身に染みて知っているのかもしれません。
城跡は徳島駅の目の前にあるので驚いた。
城は言うまでもなく蜂須賀氏の居城。
国の指定史跡で表御殿庭園は国の名勝に指定されている。
典型的な平山城だが、山城部分の標高は高くないので、気軽に散策できる。
明治の廃城令で遺構はほとんど失われたが、石垣や庭園の石が大変美しい。
1585年天正13年に蜂須賀家政が、徳島町に築城した!この城🏯は、悌郭式の平山城で、天守は現存しない!猪山城の別名が、有ります⁉️豊臣秀吉が四国平定後、豊臣政権の拠点にしようと、蜂須賀家正を入封された後、蜂須賀氏が明治まで続き、明治2年に廃城となりました⁉️石垣や堀に庭園が残るのみで、門等は再建されたものです!
【登城日】2022/04/30【城名】徳島城 (100名城)【スタンプ設置場所】徳島城博物館ミュージアムショップ徳島駅から徒歩で10分程度【御城印】あり(300円)城跡の周辺は大きな公園になっていてキレイに整備されていました。
本丸まで石段で登りましたが、翌日は筋肉痛になってしまいました。
(笑)本丸からの眺望は良かったです。
スタンプと御城印は博物館でいただきました。
徳島城跡は、豊臣秀吉が四国を平定した後の豊臣政権の拠点として建てられた戦国時代末期の城です。
豊臣家の重臣である蜂須賀氏が阿波藩の藩主を代々勤め、居城としていました。
明治維新で取り壊された城跡は、現在「徳島城博物館」を中心とした公園になっています。
また、2006年には、徳島城跡が国の指定史跡となりました。
様々な遺跡や史料を残した徳島城跡は、歴史ファンだけではなく、多くの観光客が訪れる場所です。
日本100名城No.76デルタに築かれた蜂須賀氏の平山城です。
蜂須賀家政が吉野川河口の渭山(いのやま)に築いた平山城が徳島城です。
山頂に本丸を置き、西二の丸、西三の丸と東二の丸を周囲に配して詰の城とし、麓には御殿を置きました。
本丸にあった初代天守は元和期に取り壊され、その後、天守は東二の丸に建てられた。
石垣は阿波の青石を用い、とくに本丸周囲は高石垣を築き堅固にしていました。
西の丸の石垣は屈折を繰り返し、横矢がかりの工夫が目立ちます。
御殿跡は旧表御殿庭園として整備されています。
春には桜がライトアップされ市民のいこいの公園になっています✨
徳島駅のすぐ近く、車の方は助任橋の先の中央公園駐車場、310円です秀吉の四国平定で徳島城を作った蜂須賀家政が関ケ原の戦いの時に豊臣に城と領地を渡します、一方息子の至鎮は家康側に付く事で蜂須賀家は存続して徳島城と阿波国を与えられました以降明治まで蜂須賀家14代が治めましたここはなんと言っても石垣です庭園の石から石垣まで阿波の青石を使っているのでとてもキレイで見応えがありますまずは公園のパンフレットを手に入れましょう、私は駐車場の係員さんにもらえましたまずは左側外周を石垣と堀を見ながら歩きます、鷲の門、下乗橋から見つけにくい舌石を見たら徳島城博物館へ(300円)中は撮影禁止ですが城のジオラマとテレビの説明は必見ですね、そして目の前の表御殿庭園に行きましょう、博物館に行った人は無料、ここだけなら50円です老松と青石と水の流れ、奥は枯山水で石の上をアスレチックの様に歩きます、かなりキレイな庭園です本丸へはSL横の西口から登ると沢山の石垣と折れ曲り虎口を歩けます標高差は60m、なだらかな階段であまりツラくはないです芝生の本丸を抜けて最奥の東側階段を少し降りて石垣を見ましょう東側は少し手抜きな石垣ですね本丸に戻り真ん中辺りの虎口から階段を降りるとジグザグのゆるやかな遊歩道で途中の階段側に降りると駐車場近くに出られますお疲れ様でした。
日本百名城、国指定史跡、国指定名勝。
徳島藩蜂須賀氏25万石7千石の居城。
1586年(天正14年)完成。
天守や櫓含め、建物は現存せず石垣のみが残ります。
鷲の門や数寄屋橋が復元され、国名勝指定の旧徳島城表御殿庭園が併設されています。
天守跡は標高61mの山の頂にあるため、歩いて登るには結構疲れます。
城跡の案内看板など展示は少なめです。
隣接の徳島城博物館に模型や展示があります。
公園までは徳島駅から徒歩15分。
駐車場は300円です。
2021/10/3来訪。
標高61メートルとそんなに高くないので、坂はきついけど意外と早く本丸までたどり着くことが出来ます。
城跡なので何もありませんが、観光案内所でもらった徳島城跡散策ガイドを片手に回れば色々と昔を知ることが出来ます。
この城は細川頼之が築城したが、その後、三好・長曽我部を経て天正13(1585)年に蜂須賀家政が入り、これを修築し阿波の本拠となった。
南東に、復元された鷲の門や木橋に架け替えられた数奇屋橋、徳島城博物館などから、昔日の面影をしのぶことができる。
徳島公園に行って花を撮った、雨に濡れた花も綺麗だった。
猫がいたので寄って行ったら威嚇された笑笑。
桜のシーズンは終わっていましたが、頂上からは市内を一望できました。
徳島県にはもう数百回は来ていますが一昨年前から始めたお城巡りでこちらへは初めての訪問。
有料の駐車場(1回310円)へ車を止めてゆっくりと回らせてもらいました。
所要時間は1時間半程でした。
そこそこ階段は登るので良い運動になります。
石垣も立派でとても良かったです。
次回はまた季節を変えて来てみたいと思いました。
訪問日時2020,12,23
児童🧒と遠足に行った思い出があります👑💫💫一般の人には解放されていない建物でした。
初めて訪問しました。
天守閣など建物的な物は一切ありませんが、お堀の規模からしてとても立派なお城があったんだろうなと思いました。
しかし、頂上まで行くには、かなりきつい思いをしなければなりません。
松山城のように頂上に建物があれば、リフトやロープウェイを造ればいいが………。
標高約61メートルほどの、原生林豊かな城山という丘陵に、縄文時代から現代までの歴史の痕をたくさん見ることが出来ました。
城は建物こそはありませんが、造られた地形を歩いていると、当時に思いを馳せさされます。
天守が元々無いらしく、2丸が本丸だそうです。
木々が多く眺めはイマイチ。
登るにはちょっと坂がキツイ。
下の御殿の方が見応え有ります。
徳島駅から徒歩10分ほどでいけました。
徳島市内の小高い山に築かれた平山城です。
江戸時代から明治時代にかけて蜂須賀氏の居城であった場所です。
日本100名城にも指定されていますが、天守閣や御殿等の建物は現存していません。
現在は徳島中央公園として徳島市立徳島城博物館や徳島城表御殿庭園などが残されており、当時を偲ぶことができます。
徳島城天守閣や二の丸などは山の上に建てられていたようで、そのあとを見るためには階段を登っていく必要があります。
健脚者向けだと思いました。
博物館では当時の水軍が利用していた船が展示してあり見ごたえがありました。
徳島城跡にある公園で広々とした場所で、ジョギング屋散策が楽しめる公園です。
桜の花見に来たのですが、まだ蕾で少し早かったけど弁当を食べてゆっくりとした時間を過ごせました。
石垣しかなく城好きには物足りない。
歴史博物館があるのでそちらは行ってもいいかも。
日本百名城No.76 デルタに築かれた蜂須賀氏の平城・徳島城跡!全体が徳島中央公園になっており、庭園・高石垣・門跡・復元された鷲之門が見事です!御殿跡は旧表御殿庭園として整備されており、徳島城博物館は御殿復元模型が常設展示され、地元徳島市民の憩いの場になっています。
蜂須賀家政が吉野川河口のいの山に築いたのが徳島城である。
本丸にあった初代天守は元和期に取り壊され、その後東二の丸に建てられ、石垣は阿波の青石を用い、とくに本丸周囲は高石垣を築き堅固にしていた。
アクセスはJR高徳線徳島駅から徒歩10分です。
登城日:2016.12.19(一回目)
2018年2月に訪問。
日本100名城の一つ。
珍しい石垣ではあるが、見るべき遺構が少ないお城跡で面白くない。
無料で見学可能です。
100名城スタンプは博物館の受付にあります。
綺麗な公園としてよく整備されてました。
城跡公園という名前ではないので、城跡にはあまり力点をおいてない感がありますが。
心地よい空間です。
随所にある石垣がとても立派でした。
想定外の立派さ、嬉しい誤算でした。
建造物は皆無ですが石垣を眺めながら楽しく廻れる城跡ですね。
あえて苦言を申し上げるならきちんとしたルートが整備されているので、わかりやすいルートマップ案内板のようなモノが随所にあれば助かる。
いまどこにいて、ここから歩いたらどこに辿りつく、という感じの。
随所に石碑は立ててあったものの全体の流れがわかりにくかった。
良い城跡なので是非整備お願いしますね。
石垣好きさんにはオススメの城跡です。
城跡自体は約60分あれば見れます。
(資料館や庭園は訪問してません)階段はそこそこありますがハードなレベルではないです。
徳島城のはじまりは、南北朝時代室町幕府の管領細川頼之が城山に小城を築いたのが起源といわれ、中国の渭水に例え渭津、渭山城と称しました。
山上の渭山城 麓の寺島城が存在しました。
時代がくだり四国征伐がおこなわれ、勲功のあった蜂須賀氏に、阿波国があたえられ、渭山城と麓の寺島城を取り込み、吉野川から分岐する助任川、新町川、寺島川などを天然の堀とする大規模な平山城を築造しました。
なお石垣には特産の「阿波青石」緑泥片岩や紅簾片岩が豊富に使われています。
大坂の夏の陣で、蜂須賀氏は働きが評価され、淡路国もを与えられました。
山城部分は頂上の本丸を挟み東・西二ノ丸、西にはさらに西三ノ丸がありました。
天守は元々本丸に西二ノ丸の境付近、後に弓櫓があったところに2階建て創成期の天守があったとされます。
何らかの理由で創成期の天守は解体され、東二ノ丸に3層3階の天守を新築したようです。
山城の機能は篭城など有事のためのようで御座敷、留守居番所、武具櫓、弓櫓、鉄砲櫓などが備わってました。
なお今日でもほぼ手付かずのホルトノキの群集で城山原生林といわれます。
また東の麓には城山貝塚が口を開けています。
城山の南の麓には御殿を囲むように、月見櫓や黒門、太鼓櫓などを塀や多門櫓で連結していました。
その南に鷲之門がありました。
また旧寺島川に沿った石垣には舌石といわれる突起が設けられ往時は折れ曲がり塀と呼ばれる独特の景観を作り出していたようです。
維新後に鷲之門を除く天守や櫓などの建築物と一部の石垣が撤去されました。
寺島川は一部を水路として残し、埋め立てられ線路や徳島駅など鉄道施設が設けられました。
鷲之門は戦災焼失し、平成に入り復元されました。
今日では城内に名勝 表御殿庭園がのこり、御殿風の市立徳島城博物館があります。
急な階段 坂を登りました。
展望が良くないですが、城跡の雰囲気はあります。
海のそばにあり、川沿いの平野の中にある小高い山を利用した平山城ということがよく分かる徳島城です石垣やお堀が比較的よく残り、付近の住民の方々の憩いの場として今も息づいています本丸上部の平坦部は、現在何もありませんただ、散策路としては良い運動になります。
全国的にも珍しい東二ノ丸に天守相当の三階櫓があったお城です。
石垣は緑色片岩が使用されているのも特徴で、本丸弓櫓跡近くの虎口から西二ノ丸に下りていくと良く見ることが出来ます。
星3つは、城自体に対する評価。
むしろ、城内にある千秋閣表御殿庭園が非常に素晴らしいです。
鷲の門の復元により徳島城跡の雰囲気も最良で、毎年御用納めの日には徳島市の市長さんが、鷲の門に大きな注連飾りを飾っており広場では時々イベントが開かれております。
青石に刻まれている「徳島城跡」の文字も内堀の石組みも素晴らしい。
表御殿庭園の青石橋は天然石としては日本一の長さ、庭園内にある加工された石橋も日本では一番長いと伝えられており庭内には日本一が二箇所有ります。
名前 |
徳島城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
088-621-5419 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
建造物が何も復元されていないのが、少し寂しい。
本丸まで登れば、いい運動になります。
武装した蜂須賀正勝像が、戦後は平服の蜂須賀家政像に変わったというのは、伊達政宗像のパターンと比較すると面白いですね。
県民性の違いもあるのかな。