昔、ここに城があったのは驚きです。
桜尾城は海に臨んだ要害の地で、中世の廿日市の象徴ともいうべき厳島神社神主家藤原氏の居城でした。
鎌倉幕府の有力御家人であった藤原親実が承久3年(1221)に任命された以降、代々世襲しましたが、天文10年(1541)周防の大内氏に攻められ城は炎上し、藤原(友田)興藤は白刃、320年間続いた藤原家は滅亡しました。
桂公園は廿日市市で一番最初の公園で、大正元年桂元澄の子孫である公爵桂太郎が桜尾城跡を永久的に残すため全山を買収し寄贈され、大正2年5月8日に開園式が行われました。
その後昭和42年に都市計画決定されると丘陵地を切削し、新たに都市公園として整備され昭和46年4月開園しました。
面積16
桜尾城(さくらおじょう)は、安芸国佐西郡廿日市(現在の広島県廿日市市桜尾本町)にあった日本の城。
厳島神社で有名な宮島の対岸にあり、瀬戸内海に面した海城。
複郭式の海城で、築城当時は三方を海に囲まれた海城であった。
江戸時代までは、城跡はほとんど手付かずの状況であったが、近代になると埋め立て、造成などの開発にさらされた。
大正元年(1912年)、城主のひとり桂元澄の末裔である桂太郎が土地を買収し廿日市町(当時)に寄付。
整備され大正2年(1913年)に寄贈した桂太郎の名前を付けた桂公園として開園した。
桂は城址を永久保存するために町に寄贈したのだが、昭和40年代に地形が変えられ、都市公園としての再整備が行われた。
そのため、遺構は残されていない。
桂 太郎(かつら たろう、1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。
日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望(第12代・14代内閣総理大臣)と交互に首相を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。
「ニコポン宰相」の異名を持ち、通算在職日数は2,886日(2019年12月現在歴代2位)。
第3次内閣は第一次護憲運動を受けて退陣し、その翌年に病没した。
軍人としての階級は陸軍大将で、位階勲等功級爵位は、従一位大勲位功三級公爵。
宮尾城とセットで。
落ち着いた所ですね😉平日の朝かもしれませんが、のんびり出来ますよ😁駐車場は10台分そのうち2台分が車椅子用になっています。
トイレも車椅子用がありますよグランドも広く、公園奥には遊具もあり「ブランコ、シーソー、ジャングルジム」など今の時期は、もみじが二分位紅葉していました。
駐車場近くに銀杏の木があります。
今は綺麗に黄葉していますよ👍サクラの木も多くあり、春はサクラの木の下でお弁当を食べるのもいいかも朝は近くの人が多く散歩に来られています、子供👦連れの若いお母さんもいらっしゃいましたよ☺
名前 |
桜尾城址案内碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
昔、ここに城があったのは驚きです。
また、この周りが埋め立てられてたって聞いて更にびっくりしました。
また、毛利氏の一族がこの城に入っていたのを聞いて三度びっくりしました。