名前 |
八坂神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
神山の八坂神社はスサノウ神の神社です、上一宮大粟神社もちかくにありまして、スサノウ神はここにいたのでしょう。
古代にはスサノウ神の神山は本拠地ですから一箇所にはとどまることはなかったとおもいます、行動的な神ですから、そして亀の化身としまして、牛を神としていますから牛頭神社といいまして、八坂神社の前身は牛頭(ごず)神社というておりました、写真の石は牛石なのです、ということは牛頭神社の御神体でしょう、後円墳の上にあります。
神社本庁の指示にて八坂神社になりました、この神山では馬を飼いまして馬肉を食べる風習を残したと思われる馬のつく地名が多いのも目立ちます、面白いのは船浜、船底などの地名です、山の中に何故にこのような地名があるのかは、誰にもわからなかったのですが、私が高天原(大河原高原)をみつけましてから、小松島の砂浜にユダヤからの仲間の船の船底が着けば、船底の地名に光通信にて高天原から送りますと今着いたとわかりますから、船底の地からは神山の本拠地に光通信(銅鏡)にて、していたのがわかります、船浜は名前のとうりに船が浜に入ってきたことを送信したところです、また山は深いし、預言者が沢山きていますからミソギの場所が必要です、これは滝も多くありますから、最高のミソギの場所(預言)であったとおもいます、まさしく神山です、神山そのものが古代の国ですから、邪馬台国そのものです、山の幸、里の幸、川の幸、と沢山とれるところですから、不自由はなかったと思われますが、ユダヤからの人数があまりにも多くなりすぎまして食料の調達に石井町、鴨島町、国府町からの調達に豊玉比売神(オオゲツヒメ神)は忙しく動いていたのでしょう、それもありまして国府町のキノベ山に降りてきたのも考えられますし、大山積神の集団は阿讃山脈のほうに行ったと考察ができます。
この八坂神社の地形は前方後円墳だとおもいます、前方部の斜面を切り開き社殿を建てています、後円墳の部分には祠二つと牛石がありますが、中を道が抜けていますのでわかりにくくなっています。