名前 |
伝木喰仏坐像 十王堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
日光市指定文化財。
木喰上人の作と伝わる十王像(1体紛失)がある。
ガラス窓より中を伺うことができる。
記録では木喰上人は会津西街道を通り、ここから日光市の瀬尾、猪倉を経て鹿沼の栃窪に至ったことは間違いないが、この中三依に滞在した日数であれだけの作品数を残せたはずがなく、一考の余地がある。
以下は案内板より引用~木喰(1718-1810)は江戸時代中期に甲斐国(現・山梨県)八代群丸畑村に生まれ、22歳で出家、45歳の時に木喰戒を受け56歳から日本廻国に出立し、会津から日光に詣でる途中の安永9年(1780)9月12日に中三依に立ち寄った。
このことは、故郷に残る自筆の「南無阿弥陀仏国々御宿帳」に記載されている。
木喰仏の特徴は、形式にとらわれぬ自由な造形表現にあり、温かい木喰上人の人柄そのままの微笑を浮かべた仏像である。
現状は十王堂に9体(1体欠失)の十王像とソウ塚婆(奪衣婆(だつえば))像、地蔵菩薩像がある。
いずれも虫害による腐朽破損しており、像底部を中心に頭部や両手を失くしたものも多く、現状はガラスケース内に保管されている。
造形的には素朴であり、木喰仏とするには問題もあるが、木の実を食べて修行する行者を木喰上人と呼ぶが、後世その木喰上人の作った十王像を木喰五行明満上人と混同したのではないだろうか。
~以上案内板より~