その旨が八坂神社の横に書かれていました。
大内家の屋敷跡らしいのですが、その面影を残すのは土塁のみだそうです。
ここは、大内氏28代当主 教弘公が迎賓館として建てた築山屋形の跡地です。
当時は、池のある美しい庭園をもった屋形でした。
29代当主 政弘公に招かれて山口を訪れた連歌師宗祇は「池はうみ こずえは夏の み山かな」という句を残し、賛美しています。
しかしながら、現在では土塁がわずかに残っているのみで、あとはなにもありません。
ちょうどこのマップのマーク部に城跡碑と説明板がある。
明瞭にわかる遺構としては築山神社北西にある土塁ぐらいか。
しかしその土塁はなかなか立派であった。
それ以外特に目を引くモノはない。
ただただ歴史をゆっくり感じようゼ、っていう静かな厳かなエリアである、と厳しく断定する。
ちと・・・?
神主にやる気がない。
八坂神社の周囲に土塁の一部が残っています。
15世紀中頃の大内氏の栄華が残る。
八坂神社は、大内氏別邸築山館に建てられたもので、その旨が八坂神社の横に書かれていました。
室町時代に大内弘世の孫・教弘が、大内氏館の北側に造営した別館。
そこには立派な築山があったので「築山館」という。
その豪華さは京の建物に劣らず、築山と池の景色はことに優れていたという。
幕末、萩藩が萩城から山口に藩庁を移したとき、館の石垣を運びさった。
跡地には八坂神社・築山神社が建ち、館を囲う土塁が一部残る。
名前 |
大内氏遺跡 築山跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
083-934-3312 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
築山神社のおかげで土塁が残っている感じ❗もはや神社の土塁。