ほとんどの人は気づかない。
■須磨住友別邸跡の正門門柱神戸市須磨区にある門柱。
明治の遺構。
対の片方だけが遺った。
●高さ2m程の堂々たる門柱とやや低くい脇門の門柱と二柱が並び見える。
北側10m辺りに在るべき左右対の門柱は無い。
片方は戦火で焼失したのだろうか。
遺った門柱には戦火の爪痕かの様な焼焦げ跡が覗える。
脇に判り易い説明標札がある。
別邸跡の地は現状では駐車場と空き地(広場)だ。
門柱前は車(馬車)止めだったようだが、今は2輪車用の駐車場として活用されている。
Google Map Ping📍は標札の位置に合せた。
◆石塀と複製門柱に付いて少し触れる。
まず「石塀」別邸跡の海岸べり辺り。
赤灯台へ続く遊歩道に高さ1m足らずだか重厚な石塀が遺っている。
100m以上は遺る。
戦後にも土木工事や護岸整備して来ている中、手を付けずに遺された。
手を付ける必要などない頑丈さだ。
此れも明治の遺構と思うがどうだろうか。
次に「複製門柱」。
近くに2箇所ある。
東40m程と西70m程にある門柱は同じデザイン。
光沢感ある御影石の門柱がある。
やや細くスマートになっているが様式は複製したようだ。
戦後になって模して造られた比較的新しい門柱のようだ。
西70m程の門柱は国民宿舎シーパル須磨で利用されていたが令和3年夏シーパル須磨は解体中であった。
■標札の札文は以下の通り。
『明治26年、住友家当主であった住友吉左衛門友純 (春翠)が須磨の海辺に土地(現在の須磨海浜公園) を求め、須磨住友別荘を建て、須磨の別荘地開発の草分けとなりました。
その後、多くの財界人が風光明媚な景勝地である須磨に移り住み、大正時代には、この海浜一帯にも別荘が建ち並びました。
明治36年に竣工した洋館(新館)は、 大阪府立中之島図書館などを手掛けた技師・野口孫市によって設計され、館内には、黒田清輝クロード・モネなどの数々の名画が飾られていました。
吉左衛門友純は、その後も隣接地を買い増し、 敷地は広大なものとなりました。
昭和20年6月の空襲では貴重な建物と美術品コレクションが失われました。
その後、住友家は別邸跡を神戸市に寄贈し、昭和26年、須磨海浜公園として整備されました。
』
あー別邸(^ー^)
ほとんどの人は気づかない。
名前 |
須磨住友別邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
須磨海水浴場東側中央公園、赤灯台の北側公園になっている、ハンモックの用な遊具があり、初めて見ました。