戦前の帝国海軍将校が居住した家屋が数軒残っている。
地主の原氏が、玉川全圓耕地整理に先立ち独力で整備した住宅地という。
その石碑がここに残されています。
目蒲線や大井町線が敷かれましたので、横須賀や、海軍大学校と技術研究所があった目黒への便の良さもあり、海軍関係者が住んだことから、海軍村と言われるようになったと言われています。
玉川全圓耕地整理が始まる前の大正13年に海軍省の互助会水交会が土地の賃貸借契約を締結しているそうです。
住宅組合法との関係は不明。
この辺りは、実は明治22年以前は調布村の飛び地であり、もともと玉川村ではなかったとか。
名前 |
海軍村跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
「海軍村跡」の碑が、もう少し目立つところにあれば良いと思います。