名前 |
駒形神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
御祭神 駒形明神(天照大御神、天常立尊、国狭立尊、吾勝尊、置瀬尊、彦火尊)埼玉県指定旧跡「阿久原牧跡」碑阿久原牧は都に献上する馬の牧で、承平三年(933)に、それまで朱雀院秩父牧であった秩父郡石田牧と児玉郡阿久原牧を勅旨牧としたことが知られています。
牧推定地の北にあたる駒形稲荷には「阿久原牧」の石碑、西にあたる駒形神社には「阿久原牧阯」の石碑が建てられています。
(「埼玉県神川町Official Site」より)カタクリの里の前の細い舗装路を西へ250m位進んだ辺りの、小川の堀に沿って南に進む更に細い道に入り込むと、これ以上車で進むのは危ないかなと思うような辺りに駒形神社の小さな社があります。
埼玉県指定旧跡「阿久原牧跡」碑が建っているのですが、道沿いには特に案内板も標識も見当たりませんでした。
境内には阿久原牧跡碑に並んで末社石祠が二基と庚申供養塔があります。
「阿久原牧」阿久原牧と伝承されている地域は、児玉郡神泉村上阿久原地区と同村下阿久原地区に跨っています。
神泉村は昭和二十九年(1954)に阿久原村・矢納村が合併してできたもので、上阿久原村と下阿久原村は元来一つの村でした。
阿久原牧と伝えられる場所は一か所ではなく、夏の牧と、山を越えたところには冬の牧と呼ばれる場所が数か所伝えられています。
阿久原牧と一般に呼ばれている地帯は夏の牧と伝えられている場所で、春から秋にかけての放牧地と、牧に従事する管理者などの居住地がここにあったものと推定されています。
飯盛山の麓にある駒形神社には紅白一対の木製の馬が祀られていて、古くから阿久原の牧の守護神とされてきました。
阿久原の牧は、秩父の石田牧とともに、承平三年(933)勅旨牧となり、別当として有道維行が勢力を伸ばしたところです。
阿久原全体の林野は放牧調練に適し、貢馬と多数の駿馬を産出して、有道氏をはじめ騎馬と長じた関東武士の生成の一基盤を成しました。
平安末期以降、これらの武士たちの活躍が、戦史を語る物語として今に伝えられています。
(サイト「庄・莊家の系譜」参照)