小倉織のお守りや御朱印帳があります。
門司港レトロ地区から少し離れていますがイチョウが見ごたえあります。
また小倉織の御朱印帳がおいてあります。
境内からは関門海峡大橋がみえて景色もよく、参拝してとても気持ちがすがすがしくなりました。
そして何故か、久しぶりに優しかった旧友に会えた気がして、涙が溢れました。
神様が思い出させてくださったのかな。
神様お元気で皆を御守りください。
こんな空も真っ青な日に参拝させていただきありがとうございました。
個人的な思いを書いてしまって申し訳ありません。
また、お参りにこさせてください。
2019年9月21日訪問、JR門司港駅から歩いて15分位860年宇佐八幡宮の御分霊を祀り創建。
1185年源範頼・義経参拝して弓矢献上平家追討の祈願成就1336年足利尊氏戦勝祈願1544年大内義隆大附宣1866年第2次長州征伐の戦火で神殿焼失、坂本竜馬等操艦の軍艦の砲弾を受ける1945年空襲で焼失1958年再建端折ってですが境内に平知盛墓所が有りそれ目的だったのですが1953年の水害で筆立山から流れてきた物を此方に安置したとかお守り等工夫されてましたが高め、Jリーグチームの祈願も見ました。
さすが戦いに縁のある場所。
血生臭さを感じますが、なんでしょう、戦いに誇りを持ってると言うような崇高な空気感。
傷ついたものを癒やしてくれるような場所です。
小倉織のお守りがとても美しいです!
御朱印帳とお守りが小倉織の物がある。
由緒ある三八幡で源義経や小笠原藩、細川など関わりあり。
兜が祀られてある。
兜の形のおみくじあり。
初めて参拝させて頂きました(´▽`)ノ此方は門司港駅から車で和布刈方向に5~10分位の山の手側にある神社です(○´∀`○)手水舎に花が(☆。
☆)社殿もちょっと他所とは違う雰囲気の造りになっている感じで平家と関わりが在るみたいでした(*´▽`*)ご朱印もこのご時世でも書いて頂けましたヾ(o´∀`o)ノ因みに此方のご朱印帳は小倉織らしいです(*ゝω・*)ノ。
★ 神社の敷地内に駐車場があるので、とても便利です。
★ 綺麗にされており、気持ち良く参拝ができました。
令和3年4月参拝。
御朱印をいただきました。
HPを拝見するに駐車場は南側にある石垣の下だけかと思われるが、神職の方に確認したところ、月極駐車場などにも使われているため、北側から坂を上がって、境内に乗り入れて駐車しても良いらしい。
(そのように駐車している参拝客の方もいらっしゃった)
巫女さんが目の前で御朱印の文字書いてくれて、なかなかのきれいな感じ良かった。
市街地にある神社迷うこと無く到着関門トンネルから近いってのも便利折角なんで限定御朱印帳購入小倉織手触り最高御朱印込みで3,000円也敷地も広くて何か落ち着く御朱印書いて貰うとき、最初のページ空けときますか?って聞いてくるのは好感が持てるまあお伊勢参り直ぐには行かないから最初から書いて貰ったけど普通に御朱印だけだと500円也。
御祭神:応神天皇、神功皇后、宗像三女神ざっくり由緒宇佐神宮から石清水八幡へ御分霊をお遷ししている最中に筆立山(当神社裏手の山)の山麓に滞在した時に色々あって、神功皇后の御甲(カブト)を御神体として創建神社にしては珍しい社殿前の建造物鐘でもあるのかなと思ったのですが真下から見上げても天井板あるし遠目でも格子があるしとよくわからない状況、向かって左側の方はいわゆる1階部分に絵馬がかけてあった近づけない位置に平知盛の墓がありました。
関門海峡といえば源平合戦(壇ノ浦の戦い)、山口県側には跡地の碑があるみたいです夕方4時を過ぎていましたが快く御朱印対応していただきました。
甲宗八幡宮は門司六ヶ郷の総鎮守で、源氏・平家のゆかりの地としても知られる神社です。
今日初めてお参りしました。
社務所で車の交通安全のステッカーを買おうとしたのですが、取り扱って無いとの事で、立ち去ろうとした目に小倉織の柄が入り、よく見ると御朱印帳でした。
今まで御朱印帳を始めようとは何度も思っていたのですが、なかなかきっかけが無く、やっていませんでした。
これが良い機会だと早速御朱印帳を一冊買い求め、御朱色を書いてもらいました。
これからは神社に行く度に書いて貰おうと決心しました。
朝から時々降っていた雨も上がり清々しい気持ちです。
初めて参拝しました。
なかなか趣のある神社で奥の方まで石碑が並んでいます。
境内にある小さな鳥居をくぐると良いことがある?ようです。
いつからなのかは存じ上げませんが、一番左の大鈴は半分割れているので音が鳴りません。
よく見てから振りましょう。
貞観2年(860年)大安寺の僧侶であった行教が、宇佐神宮より御分霊を祀り、神功皇后着用の御甲を御神体とした。
社名はそのことにちなむが、当初は門司八幡宮だったそう。
ちなみに御神体である神功皇后御甲は50年に一度の大祭で拝観できるそうだが、前回は2008年であった。
次回は2058年?長いな。
御祭神応神天皇・神功皇后・市寸島比売命・多紀理比売命・多紀津比売命境内には昭和28年の大水害時に忘れないでとばかりに背後の筆立山から転がり落ちてきた平知盛の墓が祀らている。
源氏ゆかり八幡様だが、境内内に平氏の墓があるというのが面白い。
小倉織という木綿の生地を使った御守や朱印帳を置いている。
小倉織は槍をも通さぬ丈夫さから武家に珍重されたそうだ。
また、縦縞が特徴で、こちらの御守などもスッキリした縦縞デザインのものが5種類揃えられている。
いずれもとてもきれいなので、使ってみてはどうだろう。
小倉織の特徴として、一度水に漬けると更に丈夫になるというのがあるそうだが…さすがにこればかりは…😥
平 知盛の墓赤間神宮の七盛塚の中に、宗盛や二位尼とともに、知盛の塚があることは、よく知られていますが、別の地にもあります。
場所は門司区で、関門国道トンネル車道出口から、すぐ右に折れると、間もなく右に甲宗八幡宮があります。
平知盛の墓は、この神社の社務所裏にあります。
以前は、神社裏山のもっと高い場所にあったそうですが、昭和28年の大水害で山が崩れ落ち、現在地になったと、神職のかたが教えてくれました。
この地に知盛の墓があることは、昭和55年に下関市民会館で行われた「海峡シンポジウム」で、北九州市歴史博物館の有川学芸員(当時)が、紹介され、知ることとなりました。
平知盛は、彦島を本陣として源氏を迎え撃つ手はずでしたが、武運つたなく壇之浦で、イカリを背負って最期を遂げた、とされています。
壇之浦合戦の前、彦島に城を構えていた、との説もありますが、海峡を見渡せる場所などで、いずれの地かは、さだかではありません。
由緒らしきものは、後年、清盛を弔って建てられたと伝えられる「清盛塚」が、江の浦町三丁目の山中にあるのみです。
赤間神宮下の海辺には、「碇知盛」の能や歌舞伎の説明板とともに、大きなイカリが据え付けてあり、その存在の偉大さを、今なお物語っています。
安富静夫著「関門海峡雑記帳」(増補版)よりす。
下関の人道トンネル入口に車を置いてフラフラ歩いて行くのも、ここら辺りが限度かな。
御朱印あり。
神職さんと歴史トークができて楽しかった!
小倉織のお守りや御朱印帳があります。
スタイリッシュ。
門司港駅からちょっとだけ歩いたところにあります。
和布刈神社のほうが知名度は高いのですが、こちらには北九州の金食い虫のサッカーチーム(笑)が毎年お参りに来るそうです。
駐車場も境内と鳥居の横曲がったところの2か所あります。
御朱印帳もすっきりしたデザインの物が数種類有ります。
自分が行ったときは2種類有りました。
その他は欠品状態でした。
名前 |
甲宗八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
093-321-0944 |
住所 |
〒801-0854 福岡県北九州市門司区旧門司1丁目7−18 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
平知盛のお墓があります。
平家一門で、安徳天皇の御入水を確認してから最後にお守りをつけてこの壇ノ浦に身を沈めたという方のようです。
おみくじが甲冑の形で可愛らしかったです!歴史を感じます。
歩きですと、石段がありまして上に登ります。
車ですと、神社を向かって南側から(左手)住宅地の間の坂を昇って途中で右折しますと、社殿のところに出て、車も20台くらい停められる広さがあります。
住宅地の中に今はなっていますがかつては海が見下ろせる丘の上に立っていたようで海洋交通を見守っている神社のようです。
歴史がある神社らしく、能楽堂のような建物もありました(しまっていましたが、多分)芸能の神様でもありらしいので多分そうです。
地元の方に支えられてきた神社という感じ。
出光興産という会社が門司で起業したそうで、寄進されていたようで、石段の登りきったところの石柱に、創業者のかたの名前がありました。