名前 |
蔭凉寺 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
昭和20年の戦災によりご本尊と水墓を残し全焼。
廃寺同然となっていた同宗の向上寺の本堂を譲り受けて移築、国清寺から御成門を移して山門としたそうです。
「水墓」とは忠僕七助の建てた三重の石塔で、主人亡きあと七助は䕃涼寺に住み菩提を弔うかたわら、主人の墓を造るため、当時岡山の人々の貴重な水源であった西川の水を売り歩き、得た浄財で主人の七回忌に立派な墓を建てます。
話は城下で評判になり、藩主の耳にも入って七助は池田家の墓番に出世します。
しかし七助は「いくら殿様の命でも、主人の墓の傍を離れる訳にはいかない」と嘆きます。
また褒美を貰った事から、人々はいつからともなく「水墓」と呼ぶようになりました。
ところがその後、一人の尼僧が同寺を訪れ、七助の主人「水野定之進に遊郭から身受けをして貰った恩から」と、七助に代わって定之進の供養をしました。
ますます水墓は有名となりたくさんの参拝者を集め、縁結びの神として明治まで若い女性達の信仰を集めたそうです。