築地魚河岸小田原棟の階段近くにあります。
八紘一宇(はっこういちう)とは、天下・全世界を一つの家にすること。
という意味。
横から見るとコンクリートブロックにしかみえないので見逃してしまう。
同じ石碑が荒川区南千住の千住大橋にも建てられています。
八紘一宇(はっこういちう)とは、天下・全世界を一つの家にすること。
『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したもの『日本書紀』には、大和橿原に都を定めた時の神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、これをもとに田中智学が日本的な世界統一の原理として1903年(明治36年)に造語したとされる。
このように日本書紀の記述は「八紘為宇(掩八紘而為宇)」であるが、1940年(昭和15年)8月、第二次近衛内閣が基本国策要綱で大東亜新秩序を掲げた際、「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく、新しく国を建てること)の大精神に基づく」と述べ、これが「八紘一宇」の文字が公式に使われた最初となった。
この言葉が日本でよく知られるようになったのは『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」(いわゆる橿原奠都の詔)である。
「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。
然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。
)日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」この意味について、記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀っている橿原神宮は以下のように説明をしている。
神武天皇の「八紘一宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものなのです。
昭和天皇が歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっていますが、この御心も「八紘一宇」の精神であります。
(Wikipediaより抜粋)
ただの石碑。
人々の待ち合わせ場所として使われている。
这位朋友,麻烦你昭和一点。
八紘一宇と書いてあります。
ホントにさりげないので誰も気づかないです。
気付いたところで意味が分からないでしょう。
数年前話題になった八紘一宇の理念が掲げられた碑。
名前 |
八紘一宇の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
築地魚河岸小田原棟の階段近くにあります。